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身体感覚の声が響くように発声練習を積み、歌声を判定する耳も訓練を積んでいく
2012/03/31(Sat)
自分の身を守る一番だいじなこと。
体から発せられるアラームを聞きのがさない。身体感覚のアラームを勝手に切らない。
操体法は発声練習と聞き取り訓練の場を、同時に提供する。
一つでも早い段階で警告のアラームを聞きとれば、逃げ遅れることもない。

これ以上カンタンな方法があったら教えてほしいくらい工夫考案された操体法であるが、現実問題として、そうそう身体の声にばかり耳をすませているわけにもいくまい。あらゆる人間はいそがしいのである。遊びのお誘いやお財布の声、そして日常の雑多なことで耳はふさがれている。少々のゆとりを見つけたとしても、ラジオのチューニングと同じ。体であちこちのアラームがじゃんじゃん鳴り響いていても、周波数を合わせられなければとんと聞こえない。そこは人間じつに便利にできている。
ほとんどの警告が聞き逃されたままに生活を送っていて、ある日あるとき「おや?」「あれっ?」と意識に引っかかりをおぼえることもあるが、たいていは泣く子に眠り薬を与えて黙らせるようなことをする。
かくして警告の関門はやすやすと突破される。

いくつもの関門があらゆる人為的手段で破られていく。破られるたびに「棺おけが近くなるだけ」とは師匠の口ぐせ。
「どうせ人間一度は死ぬ」「好きにやらせていただく」とうそぶいているうちはいいが、泣けど叫べど戻れない関門というのがある。その関門を前にして、「好き勝手やらせていただいたから悔いはない」と胸を張って言う人にはいまだお目にかかったことがない。助けてくれと泣きつく相手を探そうにも、自然法則に逆らえる人間などいようはずもない。戻れぬ関門に行き着く手前で何とかしましょうと呼びかけるのがせいぜいだ。

『治療は大成功、でも患者さんは早死にした』(講談社)というタイトルの本が、お医者の手で書かれる時代である。
医療も医療制度も万人によかれという崇高な精神と善意で成り立っているとしても、その運用がかえって関門の突破をうながし、さらなる苦痛と早死にをもたらすという皮肉な結果を引き起こしているのを、どう受けとめればよいのか。
一人一人が自衛の意味で考えてゆくほかはあるまい。
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