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生きるというのは生きようとする傾向。最後の最後まで光を集めるのをやめない意思。
2012/03/30(Fri)
しぶとい花だ。首から下は刈り取られているというのに、いつまで持ちこたえようというのか。
鉢植えはわずらわしく、切花は痛ましい。無造作に生けられた菊たちの首が、少しずつ曲がってきた。ひやりと冷たいイソギンチャクの触手のような花びらはほとんど動きがないというのに、首だけが、光を求めてここ数日で確実に曲がってきている。

向日性のはたらきは、生きて光をより多く集める行動をうながすことであるが、根っ子との交通を断たれた菊たちが、少々の努力をして光を集めようと、残された生活にはほとんど資するところがなさそうに思われる。
にも関わらず、菊の花の向日性は、わざわざ余分なエネルギーまで費やし、数日にわたり重い頭を光のありかへ向かわせて最後の最後まで光を集めさせようとする。
生きるというのは、生きようとする傾向なのだ。最後の最後まで日の光を集めようとするのをやめない意思なのだ。死につつある人間も、まだ生きている。死につつあるから寝たきりにさせておこう、それが本人もラクなんじゃないかというのは、どうなんだろう。死ぬ一方と決まっているのだから有効利用させてもらっても、かまわんじゃないかというのは、どうなのか。

菊の花たちは仏さまのお下がりでしおれかけたのを、水切りして葉を減らし、一晩水に漬けていた。しなびた花びらはふっくらとし、全身がばりばりとして、そして今では首まで曲げて光に届こうとしている。
「もう少しラクしてもいいんじゃないの。まだまだそこで咲いているつもりなの?」
白や黄色の花びらの、規則的に重なり合った連なりは、固い決意を周囲に伝えているようにも見えてくる。
「よし、これは最期まで見届けてやろう」。
足のない花たちを抱きかかえ、朝の光の差し込む窓ぎわに、そっと移してやる。
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