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「自然」と言うはカンタンだが、口で言うほど分かりやすくはない
2012/03/28(Wed)
自然食、自然農、自然療法。「自然」がつくと受けはよいが、そこに人が引き寄せられる根っこにあるのは必ずしも自然への信頼ではない。「自然農法が好き」と言う一方で、実は自然への不信感も大きい。矛盾は人間の常だ。

農薬がこわいだけなら、ふつうに農薬不使用、無農薬栽培と言えばよさそうなものだ。自然農のことは門外漢だが、たんに危険な薬を使わず安心な野菜を食べましょうということではないだろうと思う。
自然農を自然の方向へ延長すれば、最終的には山菜や野草の自然採取に行きつく。
自然農の営まれているところでビニールハウスのないところを私は知らない。慣行農業と比べれば自然だろうが、野生と比べれば人工。農というのはどこまで行っても人工である。

人工がせめて反自然とならない方向を目指す。それが人のできることのせいぜいか。
人工的な操作は人を安心へと導くが、必ずしも安全へと導いているとは限らない。
自然農の難しさは、どれだけ人の手を入れないかということだと聞く。
人工的な操作をやりたいという気持ちをどうおさえるかが一番むずかしいのである。
もともと農薬や肥料の存在には自然への不信がある。自然にまかせておいたら人間にとってろくなことにならない。自然にまかせておいたら人間にベストということにはならない。だから人の操作でよりよく、素晴らしくしていこうという。それで今は人工食や人工農や人工療法みたいなことになっている。

人はどこまで野生を許せるか。どこまで自然にゆだねることができるのか。
子育て。教育。健康。医療。老化と死。これら全ては自然農と同じ問題をはらんでいる。
言葉はたいへんあいまいなもので、「自然派の子育て」とか「自然教育」とか、自然をくっつけてしまえば何とでもいえる。「自然」という言葉で安心を得ようとするのは本能の働きかもしれないが、子は、基本的には育てなくても育つ。病気は、基本的に治さなくとも治る。最初から育つ力が備わっていなければ、どこをどう押しても育たない。治る力が備わっていなければ、どうしたって治りっこない。
いろんな力がもとから備わっている。それが自然ということではないのか。

無理に教え込まないほうが、みずから周囲のことをぐんぐん吸収する力が発揮される。善しにつけ悪しにつけ教えないことまでいつの間にか身についてしまう。そして体は無理に治さないほうが、結果的には仕上がりのよいことだって、あろうというものではないか。生命数十億年の営みを脈々と受け継いで今日に至り、誰にどう命令されなくとも常にまちがいのない選択を同時並行的に行っている。奇跡の営み。それが私たちの体であり生命ではないのか。

自分に備わっているもののことにはよく目を向けもしないで、とかく付け足そう付け足そうと努力したがる私たち。自然の力に対して大きな不信を抱く一方で、自然というものにあこがれ、期待を寄せる。相反することを平気でしている人間の姿が見えてくる。
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