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宇宙という大海原のまっただ中で、歌を口ずさむようにお経をとなえる
2012/03/27(Tue)
可視光線という言葉は、不可視な光もあるということを表している。
私たちはたくさんの光からごく限られた範囲のものを集め、それを頼りに結ばれた映像を自分たちの世界としている。
しかし光はほんとうはもっとたくさんある。そして世界はもっとたくさんの姿を持っているのである。

お経メニューの処方をある方から授けていただいて一年と半年近くが過ぎた。丸暗記して一日も欠かさず実行している。
最初は呼吸にハマった。お経の読誦は案外と「息つぎ」がむずかしい。慣れてくると、息つぎせずに泳げる距離が伸びるのにも似て、すらすらと読めるようになる。
次にハマったのは発声である。ここはやっぱり日本人。お経を読ませれば坊さんのような発声になってくる。腹の底から響く声を出すのが文句なしに楽しい。操体法で体をととのえながらやると、これが自分かと思うほどのろうろうとした声が出てくる。

人はグチを言うときはグチの発声、負の思考のときは負の発声になる。お経が仏教の発声を促し、仏教の思考を促すということもあるだろう。ひところ般若心経の流行で、その手の本がたくさん出ていたが、私のメニューにも般若心経は入っている。意味をひもといてみると、分かったような分からないようなで奥が深い。
で、可視光線なのである。

ミミズは明暗はわかるが、ものがきちんと見えていないらしい。さぞかし不便だろうと思うが、ミミズはそれで食っていくに困らない。生まれたときから「世界とは宇宙とは、こんなものだ」と思って、案外満足に暮らしていると思う。
私たちはミミズより目が見えると思うが、それでも全てをとらえているのではない。食っていくに困らないくらいの光しかとらえず、食っていくに困らないくらいの世界しか見えはしない。
目だけではない。鼻も耳も、私たちは犬にも及ばない。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。人間の五感というものは、ごくごく限られたものだ。それに比べ、この世界は壮大だ。宇宙は広大だ。外には光やら何やらがいっぱいにあふれているのにちがいないが、人間はそれをとらえきることはできない。

科学が進歩したおかげで、人間だって世界のことはもうかなり分かっているという気になってはいないか。
「世界とは宇宙とはこんなもの」と思いこむところに無知ゆえの傲慢があり、混乱のもとがあり不幸のもとがある。お経はそう指摘しているように私には思われる。
「世界とは宇宙とはこんなもの」と思って暮らすのなら、ミミズも人間も大差ない。「こんなものではない」と認めることができ、とらえきれない自然の壮大さを認めたときにはじめて人間は人間らしくなるように思われる。

般若心経を読むたびに、無知ゆえの傲慢のまっただ中に生きて苦しむ自分の姿がありありと見える。無知を治す、傲慢を治すといっても、これは一筋縄ではいかない。しかしお経を読むのはカンタンである。車を運転するときも、山を歩くときも、歌が口をついて出てくるように、お経を気軽に読誦する。そして私の感覚の外に広がっている重層的で壮大な世界のことに思いを馳せる。繰り返すうちに、何だかものの見え方までが変わってしまったように思う。何がどう変わったというのでもないが、日々いろんなことに気づく。毎日が新しい発見で、トテモ愉快である。
お経なんて仏教なんて死人か死の近い人のためのものかと思っていたが、それではもったいない。生きてピンピンしている人にも効果絶大な可能性を秘めているのではないかと思う。
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