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「ひょっとして病気かも」という意識が心身の健全にちっともよくない
2012/02/24(Fri)
水に溺れたら「助かりたい!」と思うのは人情だが、大抵は「助かりたい!」という意識が足かせで水に沈む。「勝ちたい!」「助かりたい!」「治りたい!」とことさら意識をすることで筋肉に緊張が伝わり体が動かなくなる。
「でも病気は治すという本人の気持ちが一番だいじですよね?」との質問に、「基本的には水に溺れたときと同じかもですよ」。
「ええ~っ? いや、でも、それはそうじゃないでしょう!」
「本人に助かりたいという意思があればよいのですが」というのがドラマでは決まり文句。
本人の助かりたいという意思に周囲が協力する。それが実を結んで助かるのではないか。
そういう意見も出た。

助かりたいという意思もなくて助かる人もあり、助かりたいという意思が強くても助からない人もある。
助かり方っていうのも人それぞれだ。どこかで話題になる美談ばかりではない。美談になりそうもない話は取り上げられることがない。ドラマチックに仕立て上げる気持ちがはたらくのも人情だが、ドラマと現実とはちがう。

病気のことや体のことを忘れずに過ごすというのは、それだけでストレスだという。ずっと考え続ける・思いつめるということがストレスそのものだからだ。たとえば一日に何度も「わたしは病気なんだ」という意識が流れ込んでくるなどは、心身の健全にちっともよくない。病人であるという自覚を持ち、治療に真面目に取り組む。それがかえって足かせになり水底に向かうということもあるわけだ。

それではもう病気のことはどうでもいいとばかりに、めちゃくちゃやればいいのだろうか。
めちゃくちゃやっているように見えて実のところ、病気のことをスッカリ忘れ去るなどということはなかなかできない相談だ。でたらめな生活を送りつつ、クヨクヨと病気のことを考える。それがふつうなのかもしれない。

病気のことは気にしない。苦にもせずほどほどに生活を楽しむ。それをカンタンに実現する方法をわたしは考える。水中に沈みもせず、必死で泳ぐこともなく、水面に顔だけ浮かせてラクな呼吸をしつつ、リラックスしたまま波間を漂い続ける。
おまえは病気だと人に突つかれながら生きるのは、わたしは御免だし、自分は病人だと自分に言いきかせながら生きるのもわたしはイヤだから、体をいちいち詮議立てするようなことはすまいと思っている。
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