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人間の想定した「正常」で築かれたバベルの塔のような検査の世界
2012/02/19(Sun)
首肩腰、ひざが、つらいというのは本人の感覚の訴えだけど、さあここに出してみんなに見せろと言われても困る。
骨が折れたのは目に見えるが、痛むのは折れた骨そのものではない。まひした足は何も感じないだろう。症状を伝えるのは神経のはたらきによる。
「むちうち」ともなると原因は「筋肉のこわばりだ」という。こわばりは目に見えない。どんなこわばりが、どのような症状と結びついているのか。専門のお医者によると、まったく分からないそうである。
日常にありふれた、ささいなもののように見えることも、この人類の長い歴史の中で解明されていない。ということは、「解明された」「解決済み」とされることの中味はほんとうにだいじょうぶなのだろうか。

いろんな「つらい、苦しい」があると、検査でいじめの犯人さがしをするのである。検査で固定された「正常」をはみ出す現象が探せばいろいろと見つかるので、「いましたよ。これが犯人です」と言われる。
日本の検挙率と有罪判決率は世界一を誇る。検査の世界も同様かと思いきや、たくさんの検査をとっかえひっかえ繰り返し、たくさんの犯人があげられても一向によくならないというケースが少なくない。
えん罪事件が世間でとりざたされるたびに、思う。
検査の世界にえん罪はないのか。犯人にされたものたちは、本当に犯人だったのか。
症状と、検査結果とを結びつける。それは有益なことなのだろうか。

昏睡状態の人をたくさん検査してみたら犯人がいなかった。意識を失った人が正常・健康体とされる場合も少なくないのが検査の世界ということになる。
元気で健康な人を検査してみたら、犯罪はないのに、犯人が先にあげられる。
「こいつはこの先、刃物を持った殺人犯になります」という。
未遂犯を死刑にすることも、検査の世界では許される。
しかし、同じものを「人畜無害。それどころか善良ですよ」と判断する意見もある。
これが長期にわたって繰り返されている「がん論争」である。

ものごとには二つの面があって、検査の世界で固定された「正常」は、生きものの世界ではちっとも正常ではないという専門家の意見もある。「正常」を、いつ誰が、どのように固定したのか。そのいきさつを、知っているか。知らないまま、「正常」は正常だと思いこんではいないかというのである。
生きるということは、変化の絶えない状況に対応するという行為である。
あらゆる状況に対応する生命活動を、検査で固定するということそのものに、まったく問題はないのだろうか。

近現代的検査のなかったはるか昔から、経験と実績を積み重ねて各地で発達していった伝統医学と。人間が想定し決定した「正常」で築かれた、バベルの塔のような検査の世界と。
その二つのあいだには、目もくらむようなギャップがある。
その二つを「融合する」とか、「互いに補い合う」などという意見をよく耳にする。
たくさんの耳に心地よい意見なのかもしれないが、そのような意見を述べている当のご本人たちが、ほんとうに心からそう思っているとは限らない。どうやらそれが実際のことのようである。
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