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危機に強くなるということ。
2012/01/25(Wed)
自分の腕を自力で切断する。4~5センチのナイフ一本で。医学の知識もなく設備もない。荒野のまっただ中に自分一人。
ご本人の体験記を開き、切断の場面を真っ先に読む。切断に至るまでの5日間のことを、「腕を切る」という記述にしぼって追う。
そうするまでに至った状況を考えながら、最初からじっくりと、読む。

テレビで紹介された話だ。単独で砂漠地帯を冒険中に、大きな岩に腕をはさまれて身動きがとれなくなった。水も食料もほとんどない。そこから逃げ出すためにどうすればいいか、彼は6日間考え続け、思考錯誤する。
テレビで聞いたことから想像したのとはぜんぜんちがう話だった。「本人がここに書いたとおりでもないだろうな」と思われる部分もあり、「これが自分だったら、また違う物語が展開するだろう」とも感じる。
以来、ときどき読み返す。周囲にも話す。

この体験は映画になり、見た人も少なくない。全米では英雄視されているが、日本で同じことが起きたら愚か者あつかいされるのがいいところ。「社会をお騒がせした迷惑男」と非難されるのは間違いない。
現場で本人もその二つの考えの間をさんざん往復した。「自分はなんと愚かなことをしたんだ」と嘆き、「勇気をふるえ。これは挑戦なんだ」と自分を励ましもした。
私の周囲では、「そんなこと自分には関係ない」「知ったところで役に立たない」という受けとめられ方がほとんどだ。
「人里離れたキャニオンに一人で出かけてゆくことはあまりに無謀。自分はぜったいやらないから」。
「自分で自分の身を危険にさらさなければそんな目にあわずに済んだでしょうに」。
「そんな事故は誰にも起こりようのない、まれなケース」。
「自分はだいじょうぶ」。

この体験から得られることはないのか。それが私の関心事である。
偉大なことをするのはとくべつな人ではない。ふつうの人だと、体験記を読んでいて思う。
すごいことをやったあとになれば、「あれはふつうの人じゃなく、最初からとくべつの人だったんだ」と思われるようになるのだが、果たしてそうだろうか。

人は最終的には命を落とす定めだから、少なくとも一度や二度は命が危険にさらされる危機に直面することになる。災害や事故、病気かもしれない。それ以外かもしれない。身のまわりの人、家族や身内にも、ふつうの人間の誰にでも起こる、ふつうのことの一つだ。
本人の気づかないうちに、命と引き換えの選択が今まさに進行中である場合だって、あるかもしれない。本人が気づくか、気づいてないか、それだけの違いだ。

「ふつうの人」では済まされない現実が目の前に立ち現れたとき、肉体が、精神が、いのちが反応し、「ふつう」だった人が「ふつう」でなくなり、思いもかけないことが起こる。それを奇跡と呼ぶのかもしれないが、生きものにはふつうにそういう力が備わっている。無条件に発揮されるとは言わないが、自分たちも生命体である限り、自分の知らない、未知の力が備わっていることだけは間違いない。
奇跡をおこすのは、いつだってふつうの人。あなたであり、わたしであると言ってもいい。

自分にどういう力が備わっているかを考えるとき、人の体験というのは貴重である。
一人が体験したことは、誰にでも起こりうる。
フィギュアスケートでジャンプして四回転してきちんと着地することなんて、私の子供のころは誰も考えもしないことだった。
しかしある日あるとき、一人の人間がそれを目の前でやってみせると、「なるほど。できないことでもないんだな」と思う人間も出てくる。「できないことでもない」と分かった瞬間から、できる人が次々と出てくる。

わたしはべつに、自分の腕を切り落とせるようになりたいわけではないし、自分の腕を切り落とす必要のある場面に遭遇するとも思ってはいない。
「そういえば、わたしの知っている人で、こんなことがありました」と、べつの体験を話す人もいた。
似たようなことをしなければならない日は、いつか誰にでも訪れる。
その体験が貴重だ。大いに役に立つとわたしは思う。

「残酷だ、気持ちわるい」「おそろしい」と目をそむけて済むのなら、そむけていればいいが、想像された恐怖のほうが、現実よりよほどおそろしいこともある。
心の準備のないところに危機が発生したら、もっとおそろしい思いをするだろう。
そりゃあ誰だって、そんな目にはあいたくない。あいたくないけれども現実には起こる。
いつくるか分からない現実から目をそむけることほど、おそろしいことはないのではないか。

日本人の登山者は用心深いが、遭難したときは寒さや飢えで体が参る前に、カンタンに死んでしまう。山の世界ではそう言われているのだそうだ。
勇気ある行動に対して無関心な態度を持つことと、命への粘りの姿勢がふだんから培われていないこと。その二つの間には何か関係があるのかもしれない。心の中で私はひそかにそう思っている。
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