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やっぱりほんものにはかなわない
2012/01/09(Mon)
自分の生きた時間の流れにあってメッキがはげず、化けの皮もはがれない。「私たちは宝くじに当たったようなものだった」。顔をあわせるたびそんな話になる。
自分たちにはもったいないようなものだったが、その価値が分からず軽率・乱暴にあつかっていた。二十年前、講習に参加していた頃のことを思い出すと、自分の前世でも見ているような気分になる。
本なんか見向きもせず、話を聞こうともしない。先生の講習で話される言葉すべてが退屈。出席したりしなかったりするうちに足が遠のいた。軽佻浮薄な自分に分かることだけで自分の世界をつくりあげていた。

言い訳めいたことをいえば、「今の自分」に理解できることが真実で、そのほかのこと全ては疑惑の闇に包まれる、それが人情というものかもしれない。操体法は、当時の自分の理解をはるかに超えたものだった。そしていまだに自分の理解を超えたスケールの大きさであることに変わりはない。
きちんと理解できたうえで、きちんと納得したうえで、一歩一歩安心して進められればよさそうなものだが、なかなかそうもいかない。自分の理解を超えることには手を出さないというのも一つだが、各自の好奇心や冒険心のスケールに応じて、私たちは調べたり体験したりしてみる。それが不信感や不安感をとりのぞくこともあり、好奇心や冒険心を満たすことにもなる。

「やってみないと分からない」というのは事実であるが、どこまでやったら真実が顔を出すかという問題は最後の最後まで残る。はじめに見えてきた顔が気に入らないからといってカンタンに捨ててしまうのは早計。逆に、最初に見えてきた顔が気に入ったからといって、すっかり信用するわけにもいくまい。
つきあってゆくにつれ、また別の顔が見えてくる。いつまでも同じ顔ということは、ありえない。
新しい顔がのぞくたびに、不安と安心とのあいだを行ったり来たりするのも馬鹿げている。

不安にかられて走りまわるのではなく、安心の上にあぐらをかくでもない。その二つのあいだの中庸というか、安定した姿勢と態度をつくっていくことは、一つの目標としたい。


※操体法は自分で動きながら運動神経と感覚神経とを同時にはたらかせ、自律神経本来の働きを取り戻す運動療法です。自分にとって気持ちのよい動きを見つけ、ちょうどよい加減で動きます。
九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。誰でも参加できる定例の講習会(参加費二千円)、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。
あなたもいっしょにやってみませんか。
お問い合わせ メール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097(山下)
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