どんなときにもそのときどきの、自己ベストを見つけながら生きてゆく-福岡操体法スタジオ freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★→@)-
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2011/09/13(Tue)
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やる気がだいじというが、意欲の過剰は身を滅ぼす。頑張り過ぎればいつかはダウンし、過剰に動いたぶん回復に時間がかかる。体を傷めた後遺症が残ることもある。スポーツ選手の引退後の体をみせていただいたときに痛感したことだ。
無理はいけない、ともいう。 しかし単純なひびの入った骨折などをギプスで固めるとどうなるか。 使わなかった場所の筋肉は確実に衰える。不自然に固められた腕や足が曲げ伸ばしできなくなるだけでなく、固められたところをかばって過ごしていたために、全身各所までおかしなことになっている。骨がつがったときには長い長いリハビリという手間が残ってしまう。 痛みを我慢して無理するのは論外。しかし痛みにびくびくすれば、それはそれでおかしなことになる。ちょっとくらい痛くても仕方がないが、できるだけふつうに過ごす。 必要最小限のテーピングで普通に過ごすことを心がければ、骨が治ると同時に全身の状態もよくなっている。実際にそれが一番治りが早いだけでなく、ベストな仕上がりの回復である。 頑張りすぎず、頑張らなさすぎず。それがベストの自分。 調子がよいときに頑張り過ぎるのが自分のベストなのか。その後に頑張りのツケを支払って、プラスマイナスゼロならまだしも、体をいためたぶんマイナスが出ることもある。そのことを考慮した、ちょうどを見つけてゆけば、自己ベストが分かってくる。 調子がよくないときには、調子がよくないなりの、ちょうどというのがある。妙な規制をかけて萎縮する必要もないし、低調であることをうらみがましく思う必要もない。 調子がよくないなりのちょうどで過ごせば、けっこう調子よく快適に過ごせるものである。 どんなときにも、ちょうど、ちょうどと、ちょうどよい加減を渡り歩く。 それで何一つ困ることはない。嫌なこと、困ったことというのは、どこかに何かの過不足があるということ。過剰もなく、不足もないところを渡り歩けば、そのときどきに許された、一番生き生きした自分でいられる。それが長期的にも自己ベストである。 けがをしようと老齢になろうと、どんなときにもそのときどきの、ちょうどちょうどの自己ベストを見つけながら生きてゆきたい。 ※操体法は、動きを通じて感覚神経をはたらかせ、気持ちのよい動きを、ちょうどよい加減で動くことで、体の回復をすみやかにする運動療法です。 九州・福岡市内にて講習を行っております。自分の体の調整をおぼえながら、自分なりの活動を始めている方もいます。 誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 お問い合わせメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。 スポンサーサイト
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