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邪魔な目隠しを取っ払い、自由に歩ける力強い歩みを取り戻す-九州・福岡操体法スタジオ-
2011/09/07(Wed)
最上の答えは自分の中にある。迷いがないとは、自分にとって最上の答えがいつでも必要に応じて湧き出てくること。他の誰に何を言われようと、へいちゃらだということ。

自分の答えは自分にしか分からない。自分にしか分からない答えだのに、自分に分からなくなっている。そこが大問題。人に教わらないと分からないということほど不安なことはないからである。

目隠しして歩く人には次の一歩に水たまりがあるか、深い穴があるか、安全な地面があるかは、踏み出さないと分からないのである。
親切な人がそばにいてくれて「さあまっすぐ進んで。大丈夫だから」と声をかけてくれるとしても、自分の目で見ない限り、こわごわと足を運ぶしかない。

人に指示されながら生きるというのは、こわいこわいと足を運び続けるしかない、ということだ。
もしくは「めくらめっぽう」と言われるように、一歩足を踏み出した先に水たまりがあろうと深い穴があろうと、動けなくなるまでお構いなしで通していくか。

情報というのは互いに矛盾しあう。専門家の意見も一致することはないのである。情報も知識も人の意見も、目隠ししたまま歩く人の不安や心配をぬぐうことは、まずないだろう。

自分の人生を闊歩して歩きたいときは、まずその目隠しをはずす。一気にはずせないときは、ぐるぐる巻きの包帯をゆっくりはがすみたいに、少しずつでもはずしていければじゅうぶん。
自分の目で見る以上に安心なことはないのだから。

視力がおとろえているときは視力を改善する。改善に改善を重ねてゆくにつれ、ものごとがクッキリと見え、不安はみるみる減ってくる。水たまりに足を突っ込んでも平気だ。「水たまりに突っ込んだ」と分かればいい。浅いのか深いのか、いちいち訊かなくったって自分で分かる。深い穴に落ちそうになったら、「深い穴に落ちるぞ」と体勢をととのえることだってできる。自分自身で対処してゆけることが一つ増えるごとに、自分の目も鍛えられていく。

あなたに代わって専門家や周囲の人々がそれぞれに「そこは水たまりだ」と言ったり、「いや湿地だ」「底なし沼だ」「海だ」と言うのにいちいちつき合っていくのか、それとも自分の目で確かめるか。
あやふやな足取りで歩いていくか、少々の困難もものとせず、自分で乗り越えてゆく覚悟で歩んでいくか。
それを選ぶのもまた、自分自身。

操体法は身体感覚を中心に据えた運動療法である。身体感覚のトレーニングは自分の中の答えが必要に応じて湧きでてくるための訓練でもある。


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