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救う身と救われる身とが同時に救われる。それが困難をチャンスに転じるのである。
2011/08/30(Tue)
苦労や困難というのは不思議なもので、逃げれば逃げるほど恐くなる。
一歩自分から踏み出せば、さほど恐いものでもなかったりもするのである。
生活が便利になるというのは、生活のあらゆる場面から魚の小骨でも抜き取るように、苦労や困難が取り除かれることだから、私たちの生活全体が「苦労は買ってでもしろ」という発想の流れと逆の方向を目指しているともいえる。
生きていれば苦労や困難はつきもののはず。しかし夏に暑いのは当たり前が、いつの間にか暑い夏というものそのものがうとましい。苦労や困難のあるほうが異常事態というカンちがいが出てくるのである。こうなると、生きていることのうとましさは募ってゆき、それこそ自分の首を絞める事態となる。

苦労や困難はサイフから金を出してでも引き受けるというのは割に合わない話と思われるかもしれないが、よくよく考えてみれば勇ましい精神、前向きな姿勢そのものである。ひょっとすると、割に合うことだってあるのかもしれないと思われてくる。
苦労や困難からフリーになると我々すぐに油断をしてしまう。のど元過ぎれば何とやらで、スッカリ忘れていい気になるのである。
しかし周囲を見渡せば苦労や困難にあえぐ人はいくらでもいる。
自分の身を犠牲にするというところまでいかないにしても、何か一つくらいできることはあるだろう。せめて「どうしたのですか」と一言声をかけるくらいのことでびくびくすることもあるまい。
自分の悩みに埋没している人というのは、深刻に悩み苦しんでいる。自分の悩みで周囲が見えず、ある意味ワガママの結果ともいえる。もちろん私自身、例外ではない。周囲の苦しみが見えなくなっているぶん、苦しくなるのである。

「自分より不幸な人もいる」とか「あなたより不幸な人はいくらでもいる」とかいうような言葉はよく聞かれるが、的をはずしている。交通事故で闇に放り込まれて間もないころ、「あなたより大きな不幸を抱えている人など世界中にいくらでもいるじゃないの」と鼻先で笑う大病院の精神科医もいるということを実際にこの身で体験してみて、私はそう思った。
悩みを互いに比較して「こっちはあっちより大きい」とか「どれが一番小さい」とか測って決めることなど誰にもできはしない。そうではなくて、苦労や困難が互いにあるからこそ、共に救われる、一緒に乗り越えてゆくということができる。救う身が救われるということもそこで実現されることを思えば、互いの人生や体験を豊かにできるチャンスとすることもあり得るのである。

操体法は、施術してもらう人と、施術する人とが同時に救われる運動療法である。
お金を払った側のほうが改善するというのはめずらしくも何ともない。しかし施術する側は、お金をいただいた上に、体のほうも気持ちよくなり改善されるというのだから、わけの分からない話だろう。
操体法では、気持ちよい方向になめらかに動いて、じわーっとタメをつくり、全身で脱力するということで、体に備わった修復力が発揮される。動く本人の動きに、誘導し支える術者がまきこまれるわけであるから、やりようによっては術者は相手の動く方向やタメの力を利用して、自分自身も気持ち良い動きでタメをつくり、全身脱力を実現することも可能なのである。
さらにいうと、それが施術してもらう本人と、施術する術者とが、共に心地よい動きと脱力を実現することが、最高の出来栄えともなるのである。

ほかの療術で術者が体調をくずしたり、故障をかかえて職業病として苦しんでおられる方もめずらしくないが、操体法ではやり方が正しい限り、そのようなことはあり得ない。働けば働くほどラクになるということはある。こんな施術が他に考えられるだろうか。


※九州・福岡市内にて操体法を学べます。
自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動も始められます。
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