「なぜか?」の火種に薪をくべ、炎をたやさずにいたい
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2011/07/02(Sat)
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教師は「なぜならば」と分かりやすく丁寧に答え、生徒も「ああそういうものですか」と物わかりよく引っ込む。そういうやりとりで分かったことにしてしまう世界しか当時の自分は知らなかった。
ところが師匠は「なぜ、こうなるんですか」という問いに対して、「なぜならば」を大きく迂回する。はぐらかすような、謎が深まるようなリアクションに、分かったような気にもさせられ、さらに分からなくなったような気にもさせられ、時には周囲をいらだたせることもあったのだ。 講習の集まりでは、「なぜこうなるか」の謎解きに熱心な方々も少なくはなく、とくに男性にその傾向は強い。女性は自分も含めて割り切りがはやい。「とにかくはやくラクになればいいのヨ」と操法に熱心で、確かにそのほうが要領はよいが底が浅くならないように気をつけないといけない。 解明にこだわる男性はリクツが優先する。リクツで腕が上がるのならまだしも、とかく立派そうな研究や理論へと奔ってゆきそうな気配なきにしもあらず。 すぐに解明できるという強い確信があるのだろうか。解明したあかつきには、手に取るように体の調整が分かるようになるという期待もあるのだろうか。これもまた底が浅くならないよう気をつけないといけない。橋本敬三医師は、「なぜ操体法でこういうことになるのか」を解明しようとしていた。およそ半世紀にわたる解明の試みが『生体の歪みを正す-橋本敬三論想集-』や『誰にもわかる操体法の医学』に残されている。一筋縄ではゆかない問題である。 師匠は全てを承知のうえで、迂回戦法のリアクションを二十年以上も繰り返しながら、何度かに一度はずばっと正論で切り込んでくる。そうなるとこちらはたちまち立ち往生である。そんなこともとっくに承知のうえで、何を考えているのだか考えていないのだかわからないような、すました顔をしている。かなわないな、と思う。 足かけ二十年の問答のおかげで、自分も次第に、カンタンに割り切ろうとする限り見えてこない世界に足を突っ込んだのだということを少しは分かってきたのではと思う。最近は少しはましな問答にしようとして準備に苦心もする。「なぜか?」という火種に水をかけて安心したいのではない。逆に、「なぜか?」という火種に自分でも薪をくべ、炎をたやさずにいられるように、「なぜか?」を外に向かって発し続けていきたいと思うのだ。 今は講習で「どうしてこうなるんですか」と質問されもする。人から出される質問は挑戦状のようなもの。一対一対応の答えで相手を安心させるのはカンタンだが、「なぜか?」の炎を猛烈に巻き起こすような、そしてそれが一過性のもので消えてしまわずに、「なぜか?」の炎が自分のまわりで燃え続けているような、そういう環境を実現したいと思っている。 ※九州・福岡市内にて操体法を学べます。自分の体の調整をおぼえながら、種々の活動もできます。 誰でも参加できる定例の講習会、少人数で申し込めるプライベート講習や個別もあります。 お問い合わせはメール freeyourself.sotai★docomo.ne.jp (★を@に)もしくは080-1720-1097まで。 スポンサーサイト
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