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「大したことない」のほうがむしろ大したことあったりするカラクリ-かすかな違和感について-
2011/06/11(Sat)
「チョット違和感は残るけど大したことないです」と言われる。しかしすぐ消える痛みは大したものではなかったのだ。調整した後も微かに残る違和感。こちらのほうはしつこくて、よっぽど「大したことある」。
「なんだこんなもの、あってないようなものじゃないか」と打ち消したり無視したくなるのが人情。微症状は人情によってお目こぼしされ、「もういいです。治りました」となる。

顔を天井に向けて寝て、立てひざした両足を横に倒してゆく。右に倒すのと左に倒すのと、どちらがよいか、自分の感覚に耳を澄ませる。
左右の動きで気持ちよいほうを選び、気持ちのよいほうだけを何度か実行する。実行の後、左右の動きを比べると、左右のどちらもけっこうな具合になる。操体法の動きと調整の基本である。

しかしそれだけでは限界もある。ただ漫然とやっていては操体法が泣く。
両ひざを右に倒すのが具合よい。最初はそう思われたとしても、角度を変えたり力の加減をすることで、「あれ、この動きはヘンだな」と感じられることがある。
ふつうは見落とす。見逃す。「このくらい、へっちゃらさ。かまわない。無視して動いてやれ」というわけである。
それですぐどうなるというものでもないから注目もされない。かすかな違和感の背後に隠れているものの存在など、気にするだけ面倒に思われる。
しかし、このかすかな違和感こそがクセモノだ。自分の操体法が泣くか笑うかの分かれ道でもある。

操体法の動きに大きな特徴を与えている「タメ」。操体法は動けるところまで動いていくのではなく、「ここから先に進むのはちょっと頑張らないといけないな」と思う手前のところで動きを止める。正確には、動きは止まっているように見えるが、完全に動きを止めてはいけない。そこからさらに進んでいこうという気持ちで力を抜かずにおく。決して力んではならない。手伝ってくれる人がいるならば手で支えてもらい、「タメ」の位置を保持しておいてもらうと、やりやすい。
「タメ」の最中に気持ちよい感覚を味わいながら数秒の後、全身脱力して一息つく。

「タメ」をつくっている最中に、「あれれ、なんかヘンになってきた」と思われることも、ある。右に倒すのが具合よいと思ったけれども、力をタメているうちに、内部にひそんでいた矛盾が強調されて違和感を感じるのだろう。
そんなときは念のため、左の動きにも「タメ」をつくって様子をみる。倒す角度によっては、左のほうがよいと思われたりも、する。ぱっぱと進めて、「こっちがいい」「あっちだ」とやるばかりでは、操体法が泣くのである。タメをつくってじっくりと様子をみる必要がある。

「治りました」は案外と治っていないものだ。最近その意味を痛感する。橋本敬三先生のご著書にこのことは何行か書いてあるけれども、真意を分かっていなかったと思う。橋本敬三先生はほんとに無駄のない方で、書かれたことには無駄がない。一行一行の持つ本当の意味を、牛歩の歩み、いや、カタツムリの歩みで、知る。


※九州・福岡市内にて操体法の講習会を開いています。集団講習も個別も選べます。
 くわしくは、080-1720-1097(山下)か、freeyourself.sotai★docomo.ne.jp(★は@に)まで。
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