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春の山がふところを開くとき
2011/04/25(Mon)
一年に一度だけ訪れる谷間がある。あたたかな日差しを浴びた草の中に横たわっていると、トカゲが草をかき鳴らし、ヘビが尻尾を引きずって通りすぎてゆく。みな、静かに平和にこうして日々を過ごしていたいだけなのだと思う。今では姿を見るのもまれになった金色のミツバチが、かすかな羽音をよこす。
人の出入りする痕跡はなく、たまたま見つけた自分だけの場所。そこで私は年に一度だけゼンマイを採る。

ゼンマイの谷とでもいうべきこの場所は日当たりのよい斜面が連なって、その斜面の土の中からいくつもの力づよい握りこぶしが向かいあったり重なりあったりして株をつくっている。ゼンマイたちはこのような場所が好きなのだなと思う。このゼンマイたちはもう何世代目であろうか。どれだけの歳月をここで過ごしてきたのだろうかと思う。ゼンマイになった気分で一歩一歩、足の置き場をえらびながら斜面をのぼり下りする。山が、少しだけふところを開いて秘密を私にだけ語ってくれているような気がする。そしてそれが私には一番うれしいことなのだ。

このまるまるとしてゼンマイたちを目にしていると、つい手が伸びる。一株から一本か二本ずつ。力のありあまったような強い株からいただく。日当たりのよくないところにも素晴らしい株がある。一日にいくばくか差してくる日の光をこつこつと拾い集めてきたような、太くて立派なうずまきがにょきにょきと突き出ている。数年おきにしか出せない成果かもしれないと思いながら、私自身の心が痛まないくらいに折り取る。それがこの谷と私との関係をくずさないための、おきてだ。私のほうがこの約束をやぶらない限り、この関係は永遠にくずれない。もちろん、自然の手のひらの中で、このうつくしい谷が握りつぶされることも私は受け入れよう。しかしたとえそんなときも、私の心の中で、山との関係は永遠だ。
この谷のゼンマイを初めて目にしたとき、自分の胸の鼓動がいやらしく高鳴ったのを私はおぼえている。大金でも拾ったかのような、どぎつい鼓動がほんとうにイヤだった。しかしいつしかそのようなことからも解放され、この谷の、深く静かなうずまきたちの沈黙の中に、引き込まれている。時折、手が伸びて軽快な音とともに、うずまきの子供が私に身をゆだねる。この平和な谷からこの子たちを連れ出すのも、いつかはイヤになってすっかりやめてしまう日も来るかもしれない。そう思いながら、山の赦しの象徴として、この恵みを自分の住む薄汚れた街へ持ち帰る。

操体法をやってゆくと、人間は自然破壊をしなくなる。いや、できなくなるだろうと思う。自分の母親に平気な気持ちで刃物を向けることができないのと同様に、人類の母である自然に刃を向けることは、自分自身の身を刃物で切り裂くことなのだから、そこには必ず痛みが伴う。それに気づくか気づかないか、それはリクツではない。感覚による具体的な体験なのだ。
そのようなことを考えるともなしに考えるうち、深い感動に全身全霊が満たされていく。
私が提供したいのは操体法のノウハウではない。ノウハウがほしい人が来るのもべつにかまわないけれど、本当に知らせたいのは、操体法をも超えた、この奇跡的に深い、この感動なのだと思う。
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