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『万病を治せる妙療法』というタイトルはほんとうなのか
2011/03/31(Thu)
万病を、治せる。逆に言うと、何をどうやったって治ってゆく方向を向かないような、そんな病気はそうそうないのかもしれない。
回復の方向に進む限りは勇気と希望が持てる。治らない方向に進むのは、困る。
「ありとあらゆる病気を、治ってゆく方向に向けてゆくことができる。そういう方法があるんだ」。そのようにこのタイトルを解釈することもできる。

そんな方法も、ないと断言はできない。なぜならば、生きものの体には、ありとあらゆる病気やケガに対して、治ってゆこう、回復してゆこうという自己回復力が備わっているからです。そして毎日、四六時中、私は体に備わった力に身をゆだね、お世話になりっぱなし。自分の体に備わった抵抗力や回復力が、まっとうに機能さえしてくれるならば、ありがたいことに、あらゆる病気は回復のほうへ向かうでしょう。

しかし、生きものの体にどれだけの自己修復力や自己回復力が備わっているか。そこのところがまだよくわからない。「奇跡の回復」という言葉で片付けられてしまうことが多いのも、生きものの体の本当の実力がわかっていないからかもしれない。じゅうぶん沢山の実例があるのだから、誰にでももともと備わっている力が当たり前に発揮された結果だと考えるのがまっとうでしょう。
「奇跡の回復」の一方で、「不治の病」「一生つきあっていかなければならない病気」で片付けられることが、あまりに多すぎるように思われる。
自分だったら、「奇跡の回復」とか「不治の病」とかいう言葉で自分が片付けられてしまっては困る。げんに私は自分の「不治の病」を自分のやり方でたくさん克服してきた。自律神経失調症、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、背骨の打撲、坐骨神経痛、肋間神経痛、偏頭痛、肝炎、ムチウチなどなど。どの場合も医者から立派な太鼓判をいただいた。一人の医者からではなく、何人もの医者に、「不治の病だ」と、ずっと太鼓判を押され続けた。
だから誰の意見もうのみにする気はない。自分でやってみて確認して、初めてわかることばかり。奇跡とは思わない。私一人に起こったことでもない。誰にでも当たり前に起こること。

高度医療とか予防接種といったものの背景には、生きものの体に備わった抵抗力や自己修復力への不信感が見え隠れしているように思う。何かをしてやらないと生きものは病気に対して無力だという考え方があるように思われるのです。
「自分は無力だ」と決めつけて何も工夫をしないうちから、他人の専門技術である手術や薬や予防接種に頼るその前に、自分の体に本来備わっている抵抗力や回復力がどの程度のものなのか、自分で確認することもできます。確認方法は実にカンタンで単純。筋肉を基準にするとよいのです。触ってみるのもよいし、動きから筋肉の状態を判断することもできます。そのやり方の有用なヒントを操体法からたくさん引き出すことができます。

ありとあらゆる病気、万病が、どこまで治るのか。
どういう状態を治ったというのかさえ、病院も医者も患者のほうも、まったくあやふや。
患者が治ったと言えば治ったのでしょうか。医者が治りました、もう来なくてよろしいと言ったら治ったということになるのでしょうか。あやふやなままに、治るとか治らないとか言われているのではないでしょうか。

治る方向性が自分自身ではっきり感じとれる、実感できるということはだいじにしたい。方向性さえまちがっていなければ、改善を積み重ねた先に完全治癒が待っている。
しだいにラクになってゆき、自分自身も納得できる。希望や勇気を持って過ごすことができるわけです。
治ったというのなら慢性化も再発もしないはずです。数年後、数十年後にでも元の症状が出たとか、病気が再発したというのなら、歩んできた方向が治る方向だったのか、再検討する必要がある。そういうものではないでしょうか。

ありとあらゆる病気を、治らない方向ではなく、治ってゆく方向へと向けてゆく。これなら実現も可能です。
自分の体に備わった抵抗力や回復力が、まっとうに機能さえしてくれるならば、ありがたいことに、あらゆる病気は回復のほうへ向かうでしょう。
もしも体にそのような抵抗力や回復力が備わっていないとするならば、これはもう何をやっても回復の見込みはないと考えるべきです。どんな高度な治療を受けようと、どうしようかと頭をひねっても、何の役にも立ちません。
病院の医者もよく言いますね。「あとは本人しだいです」と。「本人しだい」とは何でしょうか。本人の気の持ちようでしょうか。気持ちでそんなにカンタンに治ったり治らなかったりするものなら苦労はないわけです。人を生かしている自然の力というものは、人間の意志を超越した働きがあるからこそ、人は自然に振り回されるのではありませんか。

「本人しだい」というのは、何のつもりで言われているのでしょうか。気持ちよりも、もう少し具体的なもの。本人の体に備わった体力、回復力、修復力といったようなもの、生命力とでもいうようなものではないでしょうか。体に備わった力の働きがしっかりしていなければ、どんな病院もどんな医者もどんな高度医療も、何の結果をもたらすこともできない相談です。
最終的に頼りにするのは本人の体の持つ力だということです。体だのみ、なのです。手術だのみでも、薬だのみでも、ない。体以上のことを期待してもしょうがなく、それ以下のことと決めつけて投げる必要もないと思います。
自分が自分の体の実力のことをわかっていれば、不安や恐怖に振り回されるという、最悪の事態を避けることができます。治っているか治っていないかが、自分でもよくわからないような、目隠しの状態も望ましいこととは思われません。
『万病を治せる妙療法』のタイトルを、ウソにするも、まことにするも、すべては自分自身にかかっているのではないか。それが今の私なりの結論です。


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