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他人を助けることで不思議に見えてくる自分の救いへの道
2011/01/14(Fri)
自分のために努力するのもだいじだけれど、逆の発想で、自分が助かりたいなら他人を救えというのもまた真である。「他人を救う前に、まず自分」。操体を始めたころはそう信じて疑わなかった。「他の人のもやらないと、自分のだけでは限界ありますよ」と声をかけられても、「ふうん、そんなもんかなあ」くらいで終わっていた。

人間はエゴのカタマリだというけれど、不思議なことに、自分よりも他人のほうを大切に扱う傾向がある。自分の食事なら適当に済ませるところが他人につくってあげるとなると、たとえ食べる相手が誰であれ、自分の食事よりもきちんとつくろうとするではないか。
他人のことをやってあげるほうがやりやすいということもある。他人のことはよく見える。それがまた勉強やヒントになり、他人に尽くしたことから得たものを、自分に活用してみるということもできる。自分の体で調整してうまくいったら他人にも活用して確かめる。他人の体でうまくいったことは自分にも活用して試してみる。そんな相互のやりとりの中で見えてくるものが大いにあるわけだ。
その上、感謝の言葉を一言でもかけてもらうことがあったら、これ以上の喜びはないだろう。
人間はエゴのカタマリというが、自分に尽くすより他人に尽くすほうがうれしいという面も持っている。

他人を手助けしようとはたらきかけるのはコミュニケーションの一つである。自分でいくら自分を救おうったって限界があるから停滞し、悩むのである。自分の持つ力とはべつの何かが足りないということもあるだろう。他人を助けようとするうちに、相手もこちらの助けになる力を持っていることがある。そうしたやりとりが発生するものなのだ。たくさん人を助けようとすれば、それだけいろんな方面から助けが舞い込んでくる。それが助け合いということだろう。そう都合よくはいかないかもしれないが、続けていけば可能性は高くなる。

「他人よりもまず自分」と信じていた頃にイメージしていた自分の救いのあり方というのがある。しかしそれも時間の経過や努力を通じてしだいに変化していく。「これがああなれば自分は救われるのだ」と思い込んでいた解決の場面が実際には現実離れしているということがだんだんとわかってくることもある。現実離れした目標に向かって突き進むことこそ、悲劇の正体でもある。自分がどうなれば救われたことになるのか。その判定は思ったほど単純ではなく固定的でもない。
今、善意のプレゼントが全国の人々に伝染しているが、人間には「善いことをしたい」「誰かの力になりたい」という気持ちが本能として備わっているのではないだろうか。他人のためにやってあげることが、自分のためになる。他人が救われることが自分の救いとなる。そういうのは理想に聞こえるかもしれないけれど、何度も繰り返しイメージすることで理想も現実になるということを信じたい。
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