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人間だけに備わった「信じる力」の実力
2011/01/09(Sun)
湧き水をもらいに神社へ行く。順番を待つ間に絵馬を眺めていると、沢山の頼みごとの中に「合格ありがとうございました」というお礼の内容を見つけ、すがすがしい気持ちになる。
自身で努力もしたろうに、結果がよかったのを神仏のおかげとする。そこに心のゆとりが感じられる。力を発揮して努力できるのも、神仏のおかげ。何かに守られているんだなあという安心がそこにはある。

神仏を心の支えとするのは弱い人間のやることだという意見があるらしい。自分の力だけでやり遂げるのが本当に強い人間だという。しかし神仏の力をかりることで常識では考えられない偉業を成し遂げるということも人間にはある。信仰というのは動物にはない、人間だけに備わった高度な能力の一つだともいえる。病気や緊急の負傷でいよいよのときには信心のある人々のほうが忍耐をもって無事に切り抜ける強さがあるとも聞く。ふだん信心がない人でさえ、最終段階では神仏を心に思い浮かべない人はほとんどいない。信仰の力、信念の力というものをあなどるわけにはいかない。

日本ではキリストの生誕、クリスマスを祝い、正月には神社仏閣をお参りし、夏には灯篭流しをし、受験にはお札やお守りを持つことに抵抗はみられない。ごちそうを食べたり酒を飲んだりするチャンスだったり、賽銭箱には小銭を投げ入れ、受験ではお守りを持つのが形式的な行動としてしぜんに受け入れられている。しかし宗教についてのとらえ方、宗教観となると、宗教のことは苦手ということをきく。「宗教にはだまされないように」という警告は、じっさいに宗教集団をかたって人をだます事件が起こるからだが、宗教のことがよくわからずに本物とニセものとの区別をつける判断があやふやなことが、ねらわれる原因の一つなのだろう。

「イワシの頭もなんとやら」といわれるが、いつまでもイワシの頭ばかり拝んでいるわけにもいかない。自分の強み、支えとなるだけの信心はお金では買えない。きっかけはイワシの頭だとしても、少しずつでもほんものへと近づけていく努力が必要となる。自分の感覚を研ぎすませ、自分の信仰をより本物へ本物へと近づけていくしか方法はないものと思われる。
病気が治る人と治らない人とを見ていくと、人間だけに許された、この「信心」の差もあるように思えてくる。自分の体の持つ力を「信じる」か「疑うか」。自然の力、生命力というものをどこまで「信じきれるか」。自分の感覚やカンを「信じられるのか」。そして、信念を養うために、どれだけ情報を集め、勉強し、判断するか。「信じる力」が育っていない未熟な状態では疑いばかり、迷いばかりで、いつも不安でいっぱい。うまくいくところさえ、うまくいかなくなる。健康には信心も大きなポイントだ。そう思う。
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