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この世に自力で生まれてきたのではないように
2011/01/01(Sat)
「自分の力で生きていく」と肩ひじ張っていた頃は孤独感にさいなまれたが「何ものかのお力で生かされている」と感じるようになると孤独やさびしさが感じられない。
過去の自分が今の私の姿を見たら「情けない。ヤキが回ったね」と軽蔑まじりに嘆くだろうか。現在自分がこんな気持ちで過ごしていられるのは自分でも意外なような感じがしている。

生まれるときに自分の力で生まれてきたのではないように、自分がこれまで生きてきたのだって自分で生きてきたようにも思われるけれども、振り返ってみれば自分の努力などというものは、やったうちにも入らないような微々たるものでしかなく、自分にもともと備わっていた力の働きであったり、自分の気づかないところでの自然の働きとでもいうようなもののほうが大きかったように思う。いちいち「自分で生きる」と目くじら立てて騒がなくてもよかったようなものだった。
一日の始まりは「お早うございます。今日も何事もなく過ごせますようお願いします」。
一日の終わりには「おかげさまで本日も何事もなく過ごせましたよ。ありがとうございます」。
そんな気持ちで頭を下げる。すなおに頭を下げることができるとスッキリする。一体何に頭を下げるのかというと、それはちょっと具体的には説明しようのないものだ。しかし「自分で生きてゆくのがあたりまえ」という切羽詰まった感覚に比べ、「いつも生かされている」というのは安穏であり、気持ちにゆとりが生じる。誰に助けてもらえるというわけでもないのだが、それでも何か目に見えないものの働きがいつも自分の味方となって、ついていてくれる感じがし、腹を据えて頑張る気にもなろうというものである。
そういう働きをするもののことを、自然といってもよいだろうし、生命力といってもよいだろうし、宇宙エネルギーや神仏といってもよいだろう。とにかく自分が生まれて生きているということの中には、目に見えない力の働きが大きい。それは確かなことだ。そしてこちらで頼みもしないのに、力をかしてくれているのである。

私の感じているこうしたものの働きを、単なる気のせいと言うこともできる。それで一向にかまわない。それどころか気のせい、気分的なもの、心理的なものの働きはあなどれない。大したものなのだ。単なる気のせいや気分的・心理的なものの力の働きを、どうやったら最大限に増幅することができるのか。それは生きる上で最も重要なテーマの一つだと思われる。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
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