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無茶でもなく、あきらめでもなく。
2010/12/16(Thu)
社会の約束事というのは融通がきく。ごまかしもきく。しかし自然の法則はごまかせない。農山村や漁村のほうに足を運ぶと、必ずといっていいほど立派なお年寄りがいる。お年寄りというより「古老」と呼ぶにふさわしく、地域でも尊敬され、おそれられてもいる。日頃から自然を相手に体を動かしてきた人たちの言葉は重みを持つのである。このようなかくしゃくとした老人を前にして「老人をいたわろう」とか「老人を大切に」という言葉は馬鹿げている。ほんとうに大切な老人たちだから軽々しく扱われることはないだろうからだ。

町はごまかしのきく世界であると私は感じることがある。自然の法則を相手にする時間より、社会の約束事のほうを相手にする時間が圧倒的に多い。ごまかしという言葉が悪ければ、融通といってもよい。社会の約束事は、自然の法則より融通がきくわけで、ちょっとくらいならごまかしもきくわけである。かくいう私も町に住み、体を怠けさせる生活に長年甘んじてきているわけで、これは気をつけないといけないと自戒している。毎日の山歩きはお遊びていどのものだが、それでも雨がふろうと風が吹こうと出かけてゆくことで、謙虚な気持ちを思い起こす、よい機会となる。体の調子がよいときにはつい「征服してやったぞ」「してやったり」というような、ごうまんな気持ちが出てきてしまう。山はべつに私のことなんか、相手にしていないのにバカだねと思う。
年を重ね、経験を重ねるごとに、智恵と工夫がしだいに身についていくような、そんな生き方をしていたい。自分のコンディションもわからず気持ちだけで暴走することを無茶という。若い頃の無茶と年齢を重ねての無茶はまた別ものである。無茶を繰り返したあげくに「もう自分もトシだからなんにもできなくなるなあ」と思うのはあきらめである。私が望むのは無茶でもあきらめでもない。その中庸のところでバランスをとりながら、自分への好奇心とでもいおうか、自分の中にある可能性を見出す気持ちを失わずにおれば、あきらめる必要などちっともないだろうと思う。

「老人をいたわろう」「老人を大切に」という言葉が「ワレモノ注意」と聞こえてくることがある。割れやすいから取扱いに注意をする。それだけのことでしかないのならば、少々情けないことだ。老人になったときの自分に、ただのワレモノ以上の価値を見出せるかどうか。年齢を重ねてゆく側の生きかたが問われる問題であると思う。
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