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とっても具合のよくない日には外に出て山に入る
2010/12/03(Fri)
雨の音に包まれて山道を一人歩く。うつむき加減の私の目には地面の石ころや落ち葉や枯れた小枝などが飛び込んで来ては通り過ぎてゆく。林の中は薄暗く、昼間というのに夕まぐれの湿っぽさが漂っている。土のにおいがどことなくかび臭い。私の踏み敷くこの地面では、木の葉や虫や小鳥たちが力尽きて身を投げ出して、そこでほっと息を引き取って、そのまま互いに折り重なってゆっくりと朽ちて土になる。土は死の床であるとともに、新しい芽吹きや生きているものの生活の場。生と死とが混然一体となって繰り返されている生きものたちの日常に身をおいてはじめて私は安堵するのだ。打ち捨てられた塵あくた、割れた瓦さえ、長い年月にさらされた岩や石の持つふうあいを帯びてこの風景に溶け込んでいる。

私の山歩きはこういうものだ。「わ、山に行かれるんですか」と声をかけられ、アニメの主人公ハイジのように歓声をあげながら山を駆け回る姿を期待されると少々困惑する。もちろんそういう気分もないわけではないのだけれど、今日のような冬の雨降りの日に山に向かうのは、さすがの自分もなかなか気が進まないものなのだ。身も心も重くて重くていたたまれない朝というのが私にはある。今朝はそんな朝だったからなんとしてでも自分を山に連れていかなければならなかった。自分をだましだましするようにして、街からそっと引きぬいて山へ連れ出す。車から降りるとぼうとしたまま歩み出す。こんな朝は歩みの幅が、右足がまちがって左足を踏みやしないかというくらい、そのくらいのほんとうのよちよち歩きである。途中で気が変わっていつどこに引き返そうとするかわからない、そのくらい、我ながら心もとない状態である。

それでも山道をたどっていくにつれ、放心もしくは失神のようなところから少しずつ覚めてくる。鳥の声が時折、雨だれの音を切り裂いて通り過ぎてゆく。暗い林を抜け、あたりがぽっかり明るくなってふと見上げると、そこには木々の赤や緑や黄色のあざやかな色の連なりが立ちはだかっている。晴れた日の山の風景などは案外つまらないもので、遠くも近くも同じにくっきりとして、一枚のスクリーンに貼りついたように平べったく見える。しかし降りしきる雨が白くやわらかな光ベールを広げ、山も私もいっしょに抱きかかえてすっぽり包み込むときの、あの一体感と壮大な救いのような心地はどうだろう。感動という言葉に置き換えるには味気なく、その場に身を置いた者でなければどう説明してもわからないようなものだ。
ああ、と胸をうたれたままたたずんでいる。気持ちのすぐれないときにこそ這ってでもここに来ずばなるまいとそう思うのだ。体が弱ったからといってコンクリの箱に身を押しこむようにして過ごしていては、たとえどんな人々の、どれだけあたたかな心配りと心遣いに恵まれようとも、自然との一体感から得られる、この身も心もふるえるような感動とはほど遠いのだ。冷たい地面に身を横たえて最期を迎える鳥たちや虫たちのことを、私はかわいそうとは思わない。同様に私自身、冷たい地面に横たわり、一人で最期を迎えることがあろうとも、それをみじめとも不幸とも思うまい。
帰り道、私の足取りはしっかりとして、力強い歩みを繰り出している。自然はいつも私の中にあり、私を裏切ることはない。それを再確認するためにも、きつい時ほど山に行く。
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