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ただの健康法で終わらせるか。それ以上に高めていくか。
2010/10/14(Thu)
子どもの頃ヨーヨーが流行った。売場に立っているおじさんが次々と技を繰り出すのに引き込まれた。自分もこの世界、ほしい! 買わずにはいられなかった。
大切に持ち帰り、やってみると、果たしてうまくいかない。そんなはずはなかった。ついさっきまでヨーヨーは私のすぐ目の前で軽々と踊ってみせてくれていたのだから。
「このヨーヨー、おかしい」。売場に引き返しておじさんにうったえる。「どれ、かしてごらん」。具合のおかしかった私のヨーヨーが、おじさんの手の中でたちまち息を吹きこまれ、威勢よくぴんぴん飛び跳ねる。タネも仕掛けもない、単純なつくりのヨーヨー。講習で師匠の手本を見るたびに、私はふっと思い出す。

子どもの私はヨーヨーをすぐに放り出した。私の手にとられたヨーヨーは、息を吹き込まれることもなく捨てられ、忘れ去られていった。しかしヨーヨーのおじさんを見かけるたびに私の中に未練のようなものがむくむくとわいてくる。おじさんの周りにはヨーヨーに熱心な男の子たちが小さな集団をなしていた。その姿がまた私を引きつけた。自分でもどうしてよいのかわからないまま、その周囲をいつまでもうろついて離れられなかった。ヨーヨーという「物」がほしいのではなかった。ヨーヨーの技がほしいというのでもない。おじさんの手とヨーヨーとがとびきり親しい関係にあるということに、うらやむ気持ちと嫉妬のようなものを、私は感じていたように思う。男の子たちはヨーヨーを手放したりはしなかった。売場の周辺で過ごすうち、自分たちとヨーヨーとの関係が次第に高まっていくことを承知していて、そのためだったら何を犠牲にしてもかまわないというほどの熱中ぶりだった。彼らの中には売場を離れ、いつでもどこでもヨーヨーと自分だけの対話を続けてゆくことができるようになる者が出てくる。やがて売場では飽き足らなくなり、広い世界へと足を伸ばすようにもなる。

操体法の一つ一つの技を、ほんとうに自分のものにするのには時間もかかる。工夫も必要だ。「うまくいきません」と泣きをいれ、師匠にもう一度やってみせてもらうと、やすやすと技がかかる。うーんと首をひねる。その繰り返しである。
操体法は誰でもやっただけの効果はある。子どもでも大人でも老人でも病人でも、初めての人もそうでない人も、誰でも受け入れてくれるのが操体法のありがたいところだ。しかしこれをただの健康法の一つという扱いをするか、それ以上のものとして高めていくのかは、その人しだい。間口は広いが奥が深いのである。
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