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死にぎわのことを、自分で、きめる。
2010/08/26(Thu)
小学高学年の頃、いつやってくるかわからない「死」に支配されるのがイヤで、死ぬ時は自殺と考えた。しかし死んだ姿を人目にさらすと思うといたたまれない。それなら庭に放し飼いにしていた猫たちのほうが、よほど立派なように思われる。死ぬべき時を悟ると、誰にも見つからない死に場所を見つけ、誰にもさまたげられることなく一人でひっそりと、死ぬ。そういう死に方は、子どもの自分にも納得できた。

わたしは不安定で体調も急変する子だった。子どもが右へ左へと変化するのにあわせて親も右往左往するので、近所の行きつけの病院では小児科医の老夫婦から「病院に連れてきすぎ。少しは落ち着いて子どもさんの様子をみなさい」といましめを受けていた。今の日本の医者では考えられない話ではあるが。
親が何かにつけ、しんそこ心配するので、自分もいつ死んでしまうか、わからないようなものだと思って過ごしていた。死ぬのは、いやだった。闇に封じ込められて身動きできなくなる。それが子どもなりに感じた死というものだった。闇もこわいし動けなくなるのもこわい。急に高熱が出たり、体じゅうの皮膚にぽろぽろと、じんましんが広がっていったり、鼻から血が出ていつまでたっても止まらなかったり。そんなことがあるたびに、「これで自分は死ぬのか?」と不安になり、「これは天罰だ」と思い、「あらためますから、こんどだけは、どうかゆるしてください」と一心に祈っていた。その反面、どう考えてもいまここで自分が死ぬとはとうてい思えないのだった。しかし「この子は死なないだろうか」と親に何度も顔をのぞきこまれると、死なないという自分の確信はじつは大きなまちがいで、死なないはずのものがどうかした拍子に死んでしまうというのが、死のほんとうのこわさなのかもしれない、と、そう思えてくるのだった。このようにしてまだよく死というものを知らないうちから、死へのおびえだけを、周囲から吹き込まれているようなところが自分にはあったのではないか。

近所の老夫婦の医者ではあきたらなくなると、親は子どもをより大きな規模の病院に連れて行くようになった。それでも不満なときには紹介状を持って大学病院に連れて行き、精密検査を受けさせる。出てくる結果はいずれも「神経性のもの」「自律神経失調症」といったたぐいのもので、ほんとうに治療を受ける必要のあるものは出てきはしない。そのたびに私は心の中で「ほうれ見ろわたしの思ったとおりじゃないか」と自信を深めた。しかし大きな病院の医者になればなるほど、老夫婦の医者とはちがい、「万が一にも死ぬようなことがあるから」「放置できない」「だから検査しましょう」という姿勢で親を刺激した。親は何かあるたびに、いや、何もなくとも右往左往させられ、子どもの私は「検査の結果が出るまでの間に何が起こるかわからない」と処方された強い薬を飲まされては不貞腐れていた。あるときなどは検査にストップがかかった。「今年はこれ以上エックス線を浴びることはできません。年間に浴びる量が決まっていて、それを無視して検査を受ける必要は認められない」というような説明を受け、親は検査をあきらめざるをえなかった。検査をせずに帰宅をしても、苦しむようなことも死ぬようなことも起こらなかった。子どもの私は病院へのお百度参りにいい加減うんざりしていた。親の心配にもつきあいきれないし、医者の配慮とつきあうのも心の底からイヤだった。しかしそれを口には出さなかった。私たちはお互いに思ったことを口にできるような関係ではなかったのだ。今になって考えてみると、そういうことではなかったかと思う。

いささかヒステリックともいえる病院通いは乳幼児から中学にいたるまでの十年くらいのものだったろうか。私は小学校へ行かない子どもになっていた。いつ死ぬかもわからないのに、あんなところバカバカしくて行けるか、みたいなさめたところがあった。縁側に立ち、自分の死を思い、うつうつとして物干しによりかかっていたところ、何かの拍子に支えのひもが切れ、二本の竿とともに庭へところがり落ちたことがある。地面に落ちる瞬間、「あっ、これはほんとに死んでしまう!」と心の中で叫んだのをおぼえている。まったくの無傷で立ち上がったときには気まずくて、「こんなんでは自分はいかんな」と反省をして翌日は学校に行ったのではなかったか。そんなことも、あった。
小学高学年になると、いつやってくるかわからないような死に支配されるのがイヤで、自殺を考えた。どうせ死ぬのなら自分で決める、決めてやる。死ぬときは自殺だと思うだけで安心した。しかし自分に、自殺、できるのか。いつ、どんな死に方を、するのか。具体的なことになると皆目見当がつかない。ちょうど三浦綾子さんの『氷点』が家に置いてあり、具体的なやり方を見せられた気がした。「そうか~列車でどこか遠くへ行って、寒いところで死ぬのか~」。しかし死んだあとに自分の体を誰かに見られる・さわられるというのはどうにもイヤな感じがした。死んだ姿を人目にさらすなど、いかにもみっともなく思われる。発見した人は驚くにちがいなく、死体を片付ける人は「しょうがないヤツだなあ、まったく、こんなことをやってメイワクだよねえ」などと嫌がるにちがいない。それならば、庭に放し飼いになっている猫たちのほうが、よほど立派なように思われてくる。死ぬべきときを悟ると、ふいっといなくなってしまう。誰にも見つからない死に場所を見つけて、誰にもさまたげられることなく一人でひっそりと、死ぬ。そういう死に方は、子どもの自分にも納得できるものだった。

その後、家庭の事情により中学を卒業すると同時にわたしは家を出て、自分の死を空想するよゆうがなくなってしまった。子どもの頃に想像した死のあり方は、抽象的で観念的なものでしかなかったかもしれない。しかしそれから少しはいろんなことを見聞きもしてきたと思うが、今の自分の理想とする死を一言でいうと野垂れ死にである。好きな風景の中で、自分が自然の一部であることを感じながら、虫や小鳥たちのような死に方で死ぬのが、自分には一番いいように思われるのだ。この点についてはあの頃の自分と意見が一致する。「ふむ。あんたけっこういいセン、いってたんじゃないの」と一人こっそり、つぶやいてみる。
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