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くさいもののフタを閉めましょうか・開けましょうか
2010/08/23(Mon)
病気は悪者。すぐ押さえつけて退治するものと相場が決まっている。しかし病気も生きる営みの一部だという見方もある。生きていればクサいものもたまる。たまったものは出さねばならない。クサいもののフタをゆるめ、中身をある程度出すのが病気。病気は今後、元気に生きていくためのステップ。そんな考え方もある。

病院派というか現代医学一筋の人と、病院批判派というか現代医学はダメという人がいるように思うが、使い分けをすればいいだけのことだ。「クサいものにはフタをします」派と「クサいもののフタをはずします」派のどちらかを、その時々で使い分けるということである。
たとえば頭痛がする。「痛みをとりたい」という向きもあるだろうが、「痛みの元から解決したい」という向きもあるだろう。前者は病院で薬をもらえばいい。薬は神経の働きをブロックする。痛みの発生源はそのままにして、痛みを感じないようにする。薬が切れると感じるので、痛み止めの薬を手放さない生活になる。薬の種類や量を医師に定期的に調節してもらう。それ以外の方法といえば自分でどうにかする。頭痛を耐えるか生活上で自分なりの工夫をするほかない。
「クサいもの」はあるのだけれど臭いが外にもれ出てこなければよい。それが対処療法の基本。しかしフタをしたままだと「クサいもの」が増えてもわからない。病院に通うとそれなりにケアしているつもりにはなるが、実のところ「クサいもの」はそのまま放っておかれている。「クサいもの」があるなら後腐れのないよう全部出してしまいませんかというのが東洋医学的な考え。将来出てくるであろう症状、未病をも治そう、治せるという発想である。

どちらがよいということではなく、発想にどういう違いがあるのかを押さえておく。
「病院はキライだ」「ゲンダイイガクはダメ」といつまでも不満をとなえながら、病院やゲンダイイガクと一生つきあい続けるというパターンは多い。「どうして病院キライなんですか」「どうして現代医学はダメですか」と尋ねられてもまるで要領をえない。しいて言うなら「通院しても思ったほどの結果が出ないから」ということになる。「あなたの思う結果とは何がどうなることなのか」。それを明確にする必要があるのだ。
身内に「東洋医学系大好き」がいるが、いろいろやるうちにとうとう「クサいもののフタ」がゆるんでしまったらしい。本人ははっきり理解していなかったらしいが出てきたものはしょうがない。あるていど出て行くまで待つしかない。生活の改善がうまくいけば、クサいもののフタがゆるむのは時間の問題。本人が望もうと望むまいと、体はクサいものを出さなければならないし、クサいものを出すのにはそれなりに体の力が必要なのである。

『がん-ある「完全治癒」の記録-』という本の体験に即していうと、クサいものが出ていくというのは、カゼのような症状や、胃腸の具合がおかしくなったり腎臓の結石ができて激痛に見舞われたりという体の変調のことである。クサいものが出て行くときには痛みや苦痛をもたらすが、出ていくたびにごほうびもある。カゼの症状がおさまったと思ったら、何年も悩んでいたガンコな背中の痛みが消えたり。結石がぽろりと出たあとに、ガンが消えていたり。何十年も下痢気味なのがよくなっていたり。気分がよくて体調がよくなって、などということを実感するわけである。これはリクツというより本人と体との体験である。一度でも体験すると誰でもハッキリ実感する。ああこれがそうなのか、と。

病院の世界では「病気は悪者」。押さえつけて退治するものと相場が決まっている。悪くなったところは「ダメになったところ」だから「切って捨てましょうね」が基本。傷んだリンゴの部分を削り落とすのと同じように、ガンになったところは切って捨てるしかないとされる。生き物の体はつねに変化し回復に向かおうとするという事実を今の医学は受け入れているだろうか。『がん-ある「完全治癒」の記録-』では、病院長の全身に転移した末期がんが1年2ヶ月の食事の改善ですべて消えたわけだが、病院長をはじめ医療関係者は狂気のごとく喜ぶ。ありえない奇跡だという。自分たちがみてきた患者さんは全員死んでいた。がんが消える、病変が治るというのは病院の医学では事実ではなく奇跡のほうに分類されている。

東洋医学の世界では、クサいものがたまったりためたものを出したりの繰り返しそのものが、生きるということであるとされる。生きていればだんだんとクサいものは溜まってくる。一定量ともなれば体はそれを捨てようとする。およそ「病気」と呼ばれるものは、体がクサいものを出そうとしている状態。生きる営みの一部なのである。クサいものを出した後には体は軽くなっている。出さないで溜めこめばそのまま半病人の日々が続く。そういう考え。考えというよりは、何千年もの観察と体験によって出てきた結論である。『がん-ある「完全治癒」の記録-』では、病院の院長が「医学部も出てない」食養の指導者に指導を受ける。食養の指導者たちはがんが消えたと聞いても奇跡扱いはしない。治った例をいくらも自分の目で見てきているからだ。
根本から取り組むのは「病院で薬をもらう」とか「医者に切り取ってもらう」という受身では済まない部分がある。「クサいもの」のフタをゆるめて中から出てくるものによっては、自分のそれまでの生き方や考え方を深めたり広げたり切り換えが求められることもある。ついそれがめんどうで、「今じゃない。もうちょっと先になってから」と先延ばしをする。そういうときに神経のまっとうな働きをごまかしたり、ちょん切ったりするという小手先の技、医療技術という選択肢がある。

どちらのやり方も理解をしておくといいのではないか。選択肢があるのはわるいことではない。理解したうえで、自分の都合でどちらかを選べば、自分なりの判断と決定ができる。あきらめもつく。体のこと、命のことは自然の働き。やり直しがきかないこともある。自分の体や命には少々のお金や時間をかけるだけの価値があると思えるときには徹底的に根本的なやり方でやってみるのもいい。新しい発見と驚きがあるはずだ。
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