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居心地のよいところをさがしながら
2010/08/08(Sun)
この一週間、東京で生活していた。昼間は目白の大学にいてその後は宿に戻る。山谷地区の宿である。明日のジョーの舞台となった泪橋に近く、早朝は隅田川から浅草周辺に散歩に出かけていた。以前からそうやって過ごしてきたような生活ぶりだった。

目白の大学の真向かいには緑地があり、時間がくるまで木陰のベンチで過ごした。隣の敷地には元首相邸宅の一部が残っており、大きな門構えと表札にはなかなかの迫力がある。緑地の噴水がざあっと大きくしぶきをあげるたびに水遊びの子どもたちから歓声があがる。大人たちは芝生の上で気ままにくつろいでいる。人々の笑いやおしゃべりをのせて風が絶えず吹いてくる。大学の、鉄筋コンクリートの立派な講義室に入る前に、緑地で過ごしてバランスをとる必要が私にはあった。

大学が済むと宿に戻る。ネットで予約したときはそうとは気づかず、三ノ輪という駅名や泪橋という交差点を見たときに、以前来たことがあると気がついた。その頃の山谷は今の山谷とはぜんぜん違っていたし、その頃の自分も今の自分とはぜんぜん違う。山谷は日雇い労働者たちのエネルギーに満ちたドヤ街だった。しかしその後、経済構造も変わり、外国人労働者やフリーターが仕事に割って入るようにもなり、雇う側の事情も変わって山谷はすたれていった。二十年以上も前の私は山谷を一人歩きすることはできなかったと思うし、そうしようとも思わなかったはずだ。夜の炊き出しに何度か連れられて行ったが、全身の肌が針でつつかれているような、ぴりぴりした感覚をおぼえた。喧嘩もあった。怒鳴り声も絶えなかった。二階の窓から「食べ物なんかくばるな! こっちは迷惑してるんだ」とつんけんした声を浴びせられることもあった。地域の住民たちと日雇いの労働者たちの間には摩擦があったのだ。腹を立てて家から出てきた人が、「玄関先やお店の前にダンボールを山ほど持ってこられて寝転がってもらっては困る。こっちも困っているんだ」などと私たちに説明したりもした。炊き出しで食事や服を提供していた人はもう亡くなってしまったが、山谷の日雇い出身だった。労働者たちが協力しあい、自分たちの生活を自分たちでつくっていこうという考えを強く主張した活動家だった。今では状況は大きく変わり、山谷を知らない外国人のバックパッカーが安い宿として宿泊し、出張のビジネスマンや私のような者もまぎれこんでくるところとなったが目白と山谷を往復していると、福岡の日常では感じられることのない「格差」というものをつくづく思わないではいられない。

旅の生活で朝がどんどん早くなった。夜の来るのが早いのだ。福岡の午後7時はまだ明るいが、東京ではりっぱな夜。ああ東日本にいるんだなと思う。三日もたたないうちに朝4時5時に目が開くようになり、隅田川まで出かけてゆくようになった。隅田川公園の散歩で目にする光景もまた「格差」である。家のある人ない人がごたまぜになって早朝の公園で過ごす。一目で互いにわかる。野外で暮らす人か。守る家を持つ人か。以前の私なら罪悪感なしにここを歩きまわることは不可能だったと思う。野外で暮らす人は絵に描いたような不幸の見本。守る家を持つ人は野外で暮らす人より「上の生活」もしくは「上の人間」。そういう見方をいつの間にかたたきこまれていた。しかし「格差」は「格差」で確かだけれども、「上」だとか「下」だとか、不幸だとか幸せだとか、かわいそうだとかかわいそうでないだとか、そういうのとは別の話。誰もあんたに助けてくれなど頼んじゃいない。以前の自分に向かってそんなことを言いながら、隅田川沿いを歩く。
目白では子どもの発達異常と精神疾患について話を聞かなくてはならないのだった。毎日聞くうちに、あらゆる子どもは知能検査や発達検査を定期的に受け、異常を早期に発見してやらないと障害となって子どもが健全に育たないというような考えが伝わってきた。「のちの将来に恐ろしいツメアトを残す」から「できる限り早期に芽を摘むのだ」と、そう何度も聞かされた。早期に発見したら、ただちに治す。治してやらないといけない。知能の働きが「平均」以下なら「平均」へ近づけてやらなくてはいけない。そのための専門家がこの社会には多くいて、医療機関やサービス機関も用意されている。専門家は人間の精神の発達を計測できるし、知能の発達も計測して、数値を計算式にあてはめて算出できるという。じっさいの年齢に対して精神年齢だとか発達年齢だとかを検出し、偏差値的に見る。検査にひっかかった子どもは何らかの障害に分類され、障害を放置またはその手当てがうまくいかなかった場合には将来、人殺しや犯罪者になるしかないという。進行したら治らない。放っておけば、もしくは扱いをまちがえば、不治のものばかりだ。そのように聞こえてくる。テレビカメラでも回っていたらこのように不用意な物言いはされはしない。それだけに直接の言葉を聴くことで彼らの考え方や人間に対する態度がよく伝わってくる。参加者の中には話が「何となくおかしい」と感じた人もいたようだ。

目白の教室の考えは特殊なものではなく、広く社会で流布され共有されている考えであるとも思う。そういう社会の視点でいえば、隅田川周辺で野外生活を送る人間などは「異常」をかかえた者、「障害」をかかえた者であり、「治療の対象」であるのだろう。人間に対してそういう見方・扱い方をするのが国家の福祉というものかもしれない。制度的に国民を「救済」するためには検査によって鑑定し、分類し、等級をつけなければならない。人間を「正常」と「異常」に区分し、「健常者」と「障害者」、さらに障害をガイドラインの規定に従って細かく分類し、対処の仕方が決められる。
そういうふうなやり方・考え方が、人間にとってどういう益をもたらすことになるのか、私はさっぱりわからなくなって困ってしまった。何となく日本の社会はこういうふうだろうなと思って済ませていたのが、現場の専門家に直接接して話を聞くと、輪郭がはっきりしてきて奇妙なお化けのようなかたちが浮かび上がってくるみたいだった。私は自分がいてはならないところにいると感じていた。人間を検査して分類して助けるというような、そういうやり方は非人間的もしくは人をバカにしているとしか思えないのだった。しかしそんな自分の感じ方は、軽いおしゃべりの場でなら許されるとしても、社会的には受け入れられないだろう。「こいつ何を言ってるんだ」という反応がせいぜいで、目白の教室でも質疑応答の時間で発言すると、いたたまれない感じがした。

山谷に宿泊したあとは都合もあり、最後の一泊は別の地区のウィークリーマンションに宿泊することになっていた。山谷を出ると一瞬やれやれとなった。山谷の宿ではトイレが共同。私の宿泊した所は一か所が女性専用で、あとは男女共用だから入りたい人は入ればよい。この点に少々の不便と緊張があり、二日ほどはトイレのために夜部屋を出るということはなかった。風呂は男性のみで女性にはシャワーが24時間開放されている。そういうことを自分の中でやりくりすると快適なのだが、トイレ・風呂つきのマンションの一室に入るとついやれやれという思いがあった。
しかし、その「やれやれ」も1時間も持たなかった。のりづけをされ、白く清潔に保たれた布団カバーやシーツは強烈な合成のにおいをまきちらし、目、鼻、のどを攻撃してくる。窓を開け、室内の家具を片隅に移動して床のスペースを確保する。そこに野外用シートを敷く。これも自分のいつものやりくりであるが、シートで確保された自分のスペースは山谷の宿の半分以下なのだった。床で仮眠をとりつつ最終試験の用意をする。ふと気になって「ご利用の案内」に目を通す。チェックアウトの時間を過ぎると自動的に60分ごと1050円の徴収とある。やはりなと思った。ここの受付の人間たちの、マニュアルを一方的にしかしゃべらない機械のような様子が思い起こされたのである。こうなるとつい前日までの山谷の宿が妙になつかしく思われもする。受付にいたのは若い男女であったが実際的でしっかりとした人間だった。当たり前だ。そうでないと山谷で仕事をやっていくことはできない。応対が、こちらの発信に対する受け止め方が、印象深くもあった。最初の日には「ここは、こう使える」「ここはこの点に気をつけて」と念の入った説明があり、いちいち合点がいった。「ここって山谷ではないですよね…」とおずおず尋ねた私をまっすぐに見て「ここは山谷ですよ」という声の調子も毅然としていた。連泊者は24時間出入りが自由だったし追加の料金というのは基本的に発生しない。台所も自由に何でも使える。そういうこと一つ一つが思い起こされては比較されるのである。
目と鼻の痛みは何時間かおきにやりきれなくなり外に出るほかはなかった。一見、明るく往来もある安全な夜の街なのだが、一人ひとりをよく見ると、守る家を持つ人々が残業帰りで疲れ果て、妙にせかせかしている。それがこの町全体のファミリー気分とでもいうべきものなのかもしれなかった。そんな夜の町を無防備にほっつき歩きながら、山谷に流れていた空気のことを思い出していた。
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