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どんな病院通いや治療法よりも費用がかからなかった
2009/10/24(Sat)
病人は感覚が敏感になるという。アレルギーの日々は体に無頓着であることを私に禁じ、体調や身体の感覚に常に目を向けておくことを強制した。日常の何気ない生活の場面で起こる不愉快な体のリアクションの数々をここで挙げていけばキリがない。
ホコリっぽいところではたちまちクシャミ、鼻水、目やのどのかゆみ。ガンガンと音が聞こえるくらいの頭痛をともなうのぼせ。手足の冷え。急に暖かい部屋に入ると鼻水が止まらない。水や湯に入ると全身にぽろぽろとじんましん。手指には無数のひび割れ。鼻は空気の出入りを拒み、血液や汚れた膿の排泄をさかんに行うばかりだった。便秘で腹は張る。偏頭痛。立ちくらみ。
アレルギーの諸症状といえばそれまでだが、決して慣れやしない。実験動物に理由も無く電気ショックを繰り返し与えるとウツになるというのを思い出す。癇癪持ちでワガママで、神経質な子どもだと嫌われていたのも無理のないことだったろうと思う。

たまたま食事を変えたのである。玄米菜食の道場で数日過ごしてきたというご近所の話を母が聞いてきた。砂糖がいけないらしい。加工食品もいけない。野菜も無農薬にしたほうがいい。その日から食べものは「安全な食品」と「危険な食品」の二つになり、子どもたちは「これはだいじょうぶ?」「これは毒?」と訊くようになり、「外にあるのは毒だ」というような、内と外の意識を強くした。自然食品店と共同購入のステーションに配達されてくるもの以外なにも口にしなくなってから、しだいにアレルギーの諸症状は緩和されていった。どんな病院通いより、どんな療法より安価で効果が実感された。

続けるうちに、改善されていく食事のあり方が当たり前でふつうとなり、お菓子も肉も魚も卵も乳製品も自分の食べものからどんどん差し引いていった。若い一途さで徹底したが、ものの本にあるような、頭がさえて素晴らしい持久力がついて、というようなことはなく、アレルギーにしてもまるで忘れてしまうほど消えてなくなるものではなかった。(この項つづく)
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