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レールのうえを、ただひたすらに走っている
2009/06/25(Thu)
菓子一つ選ぶのだって、いろんなこだわりがあり、迷い、考えて選ぶ。そうやってたくさんの場面で選ぶということを積み重ねてきた。しかし振り返ってみると、結局は一本のレールの上を歩かされてきただけのようなところがある。

小・中学校は週に二日と行かなかった。しかし中学時代の同級生が進学したのを知るや、大学にえらい執着し、有名大にこだわって三十で大学を卒業したという恥が自分にはある。もちろん当時はずいぶん迷い考え抜き、自分なりの判断と決心をしたつもりだったが、卒業が近づくにつれ、そのままきれいに卒業するのがとてつもないまちがいをしでかすようで落ち着かなかった。とめる人がいなかったら中退か留年でもしていたはずである。卒業したのがよかったかよくなかったのかは今でもわからない。

レールがあるとわかると安心して走りたくなる。そのレールがメジャーかどうかは気にしない。そういう習性が自分にはあるようだ。玄米菜食というのも自分にはレールの一つだったようで、玄米菜食を実行して史上多くの人々が苦しみから救われ、生きるか死ぬかのピンチを脱した。そこに私はえらく執着を見せ、「たとえ将来、玄米菜食が害悪をもたらすものだったとわかって実行する人が世にいなくなったとしても、自分はさいごの一人となって玄米菜食を続ける」と、そういうようなことを言ったおぼえがある。言ったときには自分なりに考え抜いて自分の道を選んでいると思っていただろうが、レールがあるのがわかっていたから、そんな軽はずみが言えたのだと思う。
病院の治療もレールである。そこで行われるあらゆる処置が日本の健康保険制度でつくられてきた頑丈なレールである。医師免許もレールであり、よくもあしくも制度である。制度はゆりかごから墓場までのレールを私たちに用意してくれている。ある治療法の効果が大きかったから制度の一部となり、効果がなかったからはじかれるというのではない。どういう基準でどういう手順で制度に組み込まれはずされるのかについては関心がもたれることがほとんどない。一つしかない自分の命のことだろうに、驚くべき信頼と無関心とが、そこにはある。

私はレールがわるいとは一切思わない。太いレールだろうと雑草にうもれかかったレールだろうと、先人の築いたレールとはありがたいものである。とくに私のような根性なしで無能な人間が生き続けるためには何本ものレールがあることを知っておく必要がある。レールの数は多ければ多いほどよいというものでもないが、多くを知るうちに、そこには系統があり、どこからどう派生したものかを感じ取ることもできる。一本のレールにしがみついたり義理立てする必要がなくなり、危険を分散できる。やっとさいごに見つけつつあると思うのは、自然の手によってとっくの昔に用意されていた命のレールである。
「もし自分がこうこう、こういう状態になったら、イザというときにはこうしてもらうつもりだ」みたいなことをよく耳にするけれど、一般の病院というレールの上に何年何十年とずるずるのっかってきたのを、イザというときだけそんな行動をとれるものだろうかと疑問に思うことがある。イザというような、追い詰められたときにとれる選択肢は、残り少なくなっているものだ。「自己責任」「自己決定」と言うけれど、一本のレールの上で選択していけば、結果的には一本のレールを忠実に走りきることになる。迷いぬき、考え抜いた末の選択がそうなってしまうのだ。数年後、数十年後にもなって、危険きわまりなく多くの犠牲者を出したレールだったということが明るみにでる。そしてしばらくは誰も通ることなく廃線状態だったのが、知らぬ間に、いつの間にか復活していたりもする。そんなレールは私たちの日常にはいくらも敷かれてある。
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