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循環を得る-感動の風化しない日常-
2013/02/27(Wed)
水も空気もよどめばすぐに濁ってくる。自分の充電と放電との、バランスが取れてゆくと、心地よい循環を得る。大循環になるか、ささやかな循環になるのかは自身の力量だが、ひとたび循環を得れば、水も空気も濁ることは、ない。

知識や経験も、自分という蔵の中にしまい込めば、ほこりもたまってくる。
新鮮な風を通し、光を呼び込む方法の一つとして、蔵入りしたものを開放し、人とシェアするのは有効だと思う。
人に開放し、共有する場を持つことで、「自分のもの」が同時に「みんなのもの」にもなる。感動は増幅され、情熱の火を灯し続けることができる。決して規模は大きくないが、ブログを公開し、スタジオを解放することが自分の日常として根付くことを得、そんなことに気づかされてきた。
自分の所有しているものの価値が、自分自身ではよくわからない。いろんな人が訪れて操体法を面白がったり、大切に思う姿を目にするうちに、操体法に注ぐ自分の目もまた、知らず知らずのうちに更新されてきた。

村田喜代子さんの文章教室に初めて足を運んだ日、「自分の書いた文章を、夜半にこっそり一人で読んで、うふふと笑って引き出しにしまいこむのなら、文章修行を積む必要はありません」と言われて仰天した。
文章を書くのは好き。努力して勉強して技術を身につけたいという気持ちもあった。しかし書いたものをどうするか。身についてゆく技術をどうするのか。顔も名も知らない不特定多数の人々の目に自分をさらすということは、また別のことだった。
文章教室の中でさえ、ほめてくれる人、面白がって読んでくれる人ばかりではなかった。「けしからん」と批判され、趣旨と違う読みとり方をされて誤解を受けることも多々あったのだ。
一人で読んで、うふふと笑って済ませてさえいれば、イヤな目にあうことはなかった。しかし結局のところ、ほめられるも、けなされるも、両方とも刺激になる。背中を押されて動かざるを得なくなるのである。
読んでくれる人もなく、反応もかえってこないなら、文章なんか書かない。書けなくなるのも時間の問題だ。

たいてい何でもそうなのだ。一人こっそりやるだけではもったいないし、広がりもない。刺激もなくていずれは行き詰まるだろう。勉強したことを片っぱしから公開するならば、手直しをして正確を期することも必要だし、あわてて復習もする。疑問もわくし、質問も出てくる。次から次へと新しいものを仕入れなければならなくも、なる。ここに循環が発生する。
喜ばれることもあろうし、失敗したり恥をかいたりする。しかしどんな反応も結局は自分に還ってくる。橋本敬三医師の口癖のとおり、やってみるしかない。失うものもない。家族や知人でもいいが、不特定多数も得るものは大きい。
「わたし先日こんなことを聞いたんです」「こういうのも知ってます。うまくいくかわかりませんが」と他人に試すうちに勉強も進み、自分らしい活動の仕方もおのずとできてくる。

いちばんしぜんで無理がない。ウソも発生しない。最初は方向もわからないが、引き受けていくうちに「手応えあり」とわかったもののほうには枝が伸び、新芽も吹き、だんだんと葉が繁ってくる。そよ風と日光が適度に入り、時には慈雨が降り注ぐ。そうした環境を得ることも時間の問題と思われる。

※2013年3月の公開講習の日程
水曜日…13日と20日。土曜日…23日と30日。いずれも福岡市南区の野間会場で予約なしで入れます。参加費二千円。14時から時間自由。
福岡操体法研究会は第二土曜天神会場にて15時。二次会も参加自由。
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