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PPK-「コロリ」とは病の名前か理想の死に方か-
2013/02/23(Sat)
「PPK」は今や大人気。毎日のように人々の口にのぼり、保健の教科書にまで記載がある。
前の日までピンピンしていた人がコロリと死ぬ。周囲に迷惑かけずに死ねた、死んでくれた。この、どこがいけないですか、これ以上の理想は考えられない。そうも言われる。

「PPK」の背後には、延命的な介護や治療と、それに伴う苦しみがある。「あんな死に方をするくらいなら」と人々が思うような死に方が増えて、そこに出てきたのが「コロリ」という生き方・死に方ではないだろうか。
あらたな「姥捨て時代」の到来の予感は、私にも他人事ではなく、不条理な苦悩の増大の中で安楽死制度も時間の問題だろうと感じている。「慎重に検討されるべき問題」ということで、国民の間でじゅうぶんな討論と、じゅうぶんなコンセンサスが必要といわれ、テレビ番組も新聞もラジオも、こぞって問題を取り上げるだろう。審議会や対策委員会がつくられ、どこか知らないところで、私の知らない専門家と呼ばれる人たちが、頭を突き合わせて話し合いを繰り返した結果、「安楽死制度ととのいました」。
そういうシナリオを想像することは、むずかしいだろうか?
整然とした公的書類に名前が記入され、一定期間の審査をパスしたら、整然とした死が施設で執行される。そんな光景に疑問も抱かれなくなる日の到来を想像することは、むずかしいだろうか?
すでに臨終は家で迎えるものではなくなっている。死は次第に自分の日常から奪われ、限りなく公的社会の手にゆだねられてゆく。
社会制度の介入が色濃くなってゆく状況の中で、臨終のあり方のじっさいの決定権は、誰に、どのように握られているといえるだろう。

長々と苦しみ抜く死に方も、コロリと倒れる死に方も、自然の用意した本来の死に方とは思えない。不自然な生き方には不自然な苦しみが伴い、不自然な死に方がある。そんな想像は、むずかしいだろうか。
「コロリという死に方はよくない」ときっぱり告げる師匠の声を、先日はじめて耳にした。「なんでですか、苦しむのがいいということですか」と患者さんはくってかかっていたが、師匠は黙ったままだった。患者さんが「なんだ、この人。おかしなことを言う」とぷりぷりするのを黙って見ている。ぷりぷりするのも真剣のかたちだ。少し真剣になって考えればわかることだ。
「安楽死」にも「PPK」にも深い絶望とあきらめが背中合わせではなかろうか。
安楽死も決して「安楽」ではない。自然死以上に安楽な死は、ないということだ。

文豪の夏目漱石が、自分なりの理想の死について書き遺したものを見たことがある。また、禅宗の名僧の死に方の記録には、死ぬのが楽しみにさえなるほどの、立派な死に方が散見される。死に方によって生き方を示すような、「こんな死に方ができるのだったら、生きているうちに真剣に修行を積んでも惜しくはないな」とうならせるほどの死に方も、ある。生きる目標としても惜しくないような、「死に方を追求する生き方」というのも、ある。
子供のころからずっと長い間、死をわずらわしいもの、恐いものとして考えてきた。しかし今は恐怖というよりむしろ、もっとも充実した瞬間にしたいと思う。この人生の、大切な一度だけの瞬間を迎えるために、今の日常生活を、どう過ごせばいいだろうか。そんなことが重要課題の一つになっている。
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