教科書のない学校・自然界という教科書 |
2013/02/15(Fri)
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人生の教科書はない。ましてや自然の世界にも教科書はないのである。とはいえ私の知る限り、教科書を配らない学校はない。学校には必ず教科書があり、教科書の指導をする教師がいる。学校の教師が高い壇上にいるのは、人生のプロだからでもなく、ましてや自然の世界のプロだからでもない。教師は教科書のプロだ。教科書のどこに何が書かれており、何が教科書に書かれていないのかを知っている。それだから自信満々でいられる。若い頃の私ごときが、「先生はねえ…」などと一段高いところでふんぞり返っていられたのだ。
美大受験に落ちまくっていたころ、私をそそのかした人がいた。「ふつうの大学なら、これを暗記すると合格するよ」と、参考書を私の前にドンと置いたのだ。「東大だって、この中からしか出ない」。そう言われて、「ならばチョロいな」と思った。「この参考書を自力で書くくらいのつもりで暗記しろ」と言われ、その通りにした。それだけ美大受験に四苦八苦していた私だった。 美術研究所には一冊たりとも教科書がなかった。指導する先生はうさんくさい絵描きであり、一人ひとり全く言うことがちがう。「何をやったらいいんですか」とたずねれば、「おまえはどうしたいんだよ」などとたずねられる。「おまえはどういうのが好きなんだ?」 美大で学生生活を送りたいというだけでしかない私は、困った。先に合格していく受験生たちには、各人なりの趣向があったように思う。合格した大学では方向性に苦労しているようだったが。 こんなことしていたら一生かかってしまう。一生かかっても絵が描けるようになれば、大学などどうだっていいと割り切れたらほんものかもしれないが、むしろ大学生活に執着していた私はキャンバスを下し、教科書に向かうようになった。そのことは周囲はホッとさせただろうが、あのとき私は一種の堕落をしたのかもしれないと思う。ミューズの神さまのもとを去り、教科書は神さまだ、参考書は仏さまだと一言一句あがめて過ごしたら、試験に合格するわ、周囲から褒められるわ、わるいことはないように思われた。教科書に忠実なしもべとなった私は大学でもうまくやり、卒業後は「教科書の奴隷となれば、私のように受験に成功できる」と壇上で叫ぶ日々を送った。そして合格した学校で悲劇に見舞われた教え子たちに気づかないまま月日を送ったりもしたのだった。 交通事故で人生が狂わされたと思っていたが、じっさいは、交通事故で目を覚まされたのである。「交通事故で狂った体を治す教科書は、医学部にはなかったし、試験にも出なかった」と教えて下さった医師の方々に今は感謝している。「病院に一生通いたくなければ、ご自分で探しなさい」という医者の一言が、教科書ボケした頭の私を、自然界という学校へと足を向けさせるきっかけになったように思われる。 スポンサーサイト
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