FC2ブログ
2019 12 ≪  01月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2020 02
器用と不器用のちがい-動きのちがいは体の固さのちがい-
2013/02/13(Wed)
1ミリのずれでも感じ取る神経のはたらき。自分のペースを持つ、ノリのある動きは、やってる本人も楽しいし、見ているだけでも心地よい。
「体の動き」「体のコントロール」が器用と不器用とを分かつ。体の動きがよいかわるいか。たったそれだけの違いである。

子供の頃、「ホレ肩の力ぬきなさい」と言われていた。上半身に力が入り、いかにもブキッチョの姿になるのらしい。
「不器用とは要するに、体がかたいということだよ」とは師匠の言。「体がかたいということは腰が固いということなんだ」。だから「さっさと腰をゆるめろ。カンタンなことだろ?」というのである。
「三十歳を過ぎてから、そんなこと教えてもらってもねえ…」とうらめしかった。しかし最近では気持ちよいくらいに肩の力がすっと抜け、頭の中をさわやかな風が通り抜けるような感覚を、山歩きや座禅をしているときに感じる。背すじがしゃんとして骨盤の角度が決まってくる。坐骨とか、背骨のねっこあたりとかで、重力の向きを感じ取り、バランスをとってくれているのが、よくわかる。

下半身の充実と、上半身の軽やかさ。「うん、これでいいんじゃないかな」という実感が、ある。
体のゆがみをなくしていき、体がととのってゆけば、おのずと感覚はととのい、育ってくる。
体をゆがませたまま、ととのわないままの感覚で、何ごとかに取り組もうというのは、ずいぶん厳しいことになりはしないかと、今なら思う。
「操体法で体をととのえてゆくと、武芸だろうと音楽だろうと、何でものみこみのよい体になるのだから、操体法はすべての基本となる」というような記述が橋本敬三医師の原稿には遺されている。
「操法の、ごくシンプルな動き一つ一つの中に、すべての要素が入れてある。それが操体法なのだ」とは師匠の言。
「ほ~ん。そんなもんですかのう」くらいにしかわからない月日を長く経て、今ようやっと、納得がいく。のみこみの早い人というのは、一言の教えを聞けば「ああ!あのことだな!」と、頭からつま先まで納得の火花がバリバリ走ってゆくのだろうが、こっちはいかんせん昼行灯。とりあえずわかるところまできたということが、私には何よりだ。これからもいろいろと剥がれ落ちるうろこもあることだろうから、期待している。
「おい、これでいいらしいぞ。遠慮なくどんどんとやれ」と蝸牛の歩みにはっぱをかけている。
スポンサーサイト



この記事のURL | 操体法のコンセプト | CM(0) | TB(0) | ▲ top
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top

トラックバック
トラックバックURL
→http://soutai007.blog32.fc2.com/tb.php/1284-8db4e051

| メイン |