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自由が行き詰まる-自由のセンスを研き続ける-
2013/01/30(Wed)
絵は自由なもので、やり方に決まりはないという。操体法も本来は、やり方などないのだろう。しかし「自由にやれ」と言われても、すでに人は自由ではない。いろんなとらわれがあって、自由が自由にならなくて、行き詰まる。だから「やり方に決まりはない」という前提で教えてもらったり、教えたりしてしまう。

あくまで最終目標は、さまざまなとらわれから解放され、自由になることだと私は思う。無心に筆を運んで絵の具を塗りつけたキャンバスが、人の感動を呼び起こすという以上のことがあろうか。無心に体の調整をした結果が喜ばしいものであったなら、それ以上のことはないわけだと思う。

東洋的アプローチでは心臓がわるいから心臓を直接あつかうということは基本的にやらない。ヒザがどうかあるからといって、ヒザに限定したアプローチは基本的にはやらない。
体の中で心臓だけ悪くなったり、ヒザだけがおかしくなったりするとは考えない。
すべては関係性であり、バランスであり、たとえば木・火・土・金・水、5つの要素のバランスをととのえることが体をととのえることであったりする。

木は火の働きを助け、火は土の働きを助け、となりあうもの同士が互いに強めあうという関係。一つ抜けても成り立たない。5つで一つ。そういう関係である。
この陰陽五行に臓器の働きを木=肝臓、火=心臓、といったようにあてはめ、火の働きが弱まると木の働きを補い、土の働きが弱いと火の働きを補い、全体のバランスをよくしようとする。もしくは火の働きが強すぎると木の働きを弱め、土の働きが強すぎると火の働きを弱め、全体のバランスをととのえようとする。バランスがととのってきたら、臓器みんな、どの部分のみんなにも都合がよい。みんなひとりひとりに都合がよいというのが全体としても都合がよいという方針。

一枚の画用紙に、気になる部分だけ集中して描いたり消したりしていると、紙の一部が傷むだけでなく、全体画面として一つの絵にならない。絵の描き方に決まりはないが、最初に注意されることは、まずは全体のバランスに気を配れということである。バランスに気を配れたら、案外と急に上達したように感じる。どこで何が起こっているか、何となくわかるのである。
体をゆるめることを少しおぼえてくると、手当たりしだいに、ゆるめたいと思うところをゆるめたりする。特に「ここが痛い」という症状にとらわれたり、「ここをこうしてくれ」と頼まれたりすれば、意識は部分に走る。そうやって部分にこだわるため、全体のバランスがととのわず、思うような成果が出ない。心臓がわるければ心臓を調べるのが当たり前と思うのは、東洋のアプローチから断絶されているからかもしれない。心身ともにずいぶん西洋化が進んでいるともいえるかもしれない。

絵のことでも体のことでも、何よりバランス感覚をだいじにしたい。
バランスのセンスがしっかりしてくると、いろんなことに実感が持てる。うまくいったか、うまくいってないのか、わかるようになり、おのずと核心に近づいていくようになる。どんなやり方をしたって、「よし」という全身の実感が持てれば進んでいける。
「わかるようになりたい」。そう思ったら、せっせと自分自身の骨格のゆがみをととのえてゆくことである。ゆがんだ体には偏った神経作用と偏った感覚が宿り、まったく不自由である。体のゆがみを減らすことで徐々に感覚も解放され、しっかりしてくる。どんな練習よりも、自分のバランスセンスを研くことが自分の役に立つ。自分自身が生きて経験を積み重ねることが、バランス感覚の一番の鍛錬となるというのだから、ありがたいことである。
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