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この世という線引きの中での生活か。それともこの世とあの世に線引きしない世界に身を置く生活か。
2013/01/27(Sun)
土産にもらった好物の饅頭を「どうせ糞になる」と、みんなの目の前で便所に捨ててみせた男がいる。文豪に名を連ねた昔の人だが名前が思い出せない。

その行為は愚かだったろうか。それとも何らかの意味があったのだろうか。ときどき思い返す。
「ああムダじゃムダじゃ。何もかも一切がムダじゃ」とつぶやきながら毎日を過ごすキャラクターが、ムーミンのアニメにあったが「どうせ死ぬのだから生きるのは無駄」なんて言ったらもちろん罰当たりなのだが、それでも正面切って「無駄だ」と言い切られたら、どう切り返せるのか。
リクツでは何とでも言えようが、「みんな最後は死ぬ。この世に終わりもくる。だから生きている間くらい何をどうしようとみんな勝手でいいじゃないか。迷惑かけなきゃいいんだろう?」と、たとえば自分の子供に食ってかかられたりしたら、たじろがずにいられるだろうか。

「死は終わりではない。死ぬからといって何をどうでも勝手にすると、いつとはいえないが恐らく困るときが必ずくる」という考え方もある。また、「体験だけは死んでも持っていける」という考え方もある。死んだら何もかも終わりではなくて、体験だけはついていくという。
いずれにせよほんとうのことはわからない。しかし今の生(今生)に限りがあるのは確かなことで、どんな境遇に陥っても、あらゆることを貴重な体験とするのが一番無駄にならない生き方のようにも思われる。何をどう体験するかが重要であって、体験こそ全てだともいえる。今生の終わり=死もまた大切な体験の一つ。最初から最後まで一つ一つをていねいに、じゅうぶんに、味わいたいものだ。

「この世が全て」なら「金と地位が全て」とかいう唯物主義への道に陥りやすいが、金と地位の通用する世界がむしろごく限られた特殊な世界だとしたら、価値観は多様化せざるを得ない。
死を終わりにして、この世とおさらばするときに何もかも逃げ切れるとするのか。
それとも死で終わりとはせず、この世とあの世を線引きしないで、広げたままの世界観の中に自分の身を置くか。それこそ各人勝手に決めてよいことなのだ。今の科学の範囲を超えた問題であるし、遠慮なく自由にさせてもらってよいと私は思う。
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