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何をどうしたら治るのか-何をどうしたらそうなったかを読み解く-
2013/01/22(Tue)
あらゆる病気や症状、ありとあらゆる悩み・苦しみが、その人の持つ先天性の理由と後天性の理由とで成り立つ。いちおうはそう考えてみる。
ほんとうは一人の人間だから「ここからここまでは生まれつきの傾向のせい」「ここからここまでは生活環境のせい」「そしてそこから先のほうは自分の生活行動による」と分けるわけにもいかない。
生まれつきの傾向と環境とを背景に持たない生活行動など一つたりとて、ない。生まれつきそういう食べ方になりやすい傾向があり、生まれつきそういう呼吸になりがちな構造を持ち、偏った体の使いかたを誘う骨組みをして、生まれつきそのような心の傾向をもっていたがため、知らず知らず追い込まれたり、知らず知らずのうちにうまくいったりする。その傾向は進化の過程だとか、ご先祖さまが積み重ねてきたものだとか、長い長い年月でつくられてきたものもある。そのようなことを人間の意志と努力でねじふせようったって、そうカンタンにいくものだろうかと、いちおうは考えてみる。

生活の改善と言ったって、そのような生活行動にならざるを得ないその人の環境というものがある。誰だってそのようになっちゃうだろうというような生活環境(人間関係、経済、社会・文化・時代、気象・気候など広く含む)で、そのようになってしまう面もある。
生まれつきのせい・環境のせいで、悩み・苦しみが発生し、いろんな症状や病気が発生している。そう言えないこともない。しつこい肩こりを長く患う人が、生まれつきそのようになりやすい傾向を持ち、そのようになりやすい生活環境があって肩こりをわずらっているとしたら、それは当然の成り行きのもたらした結果というほかはない。
そのような目で周りを観察していると、なるほどと思うことも見えてくる。人にはそれぞれ生きていくことに関する事情が諸々にあって、本人の意志と努力ではねじふせようのない、変えようのないこともあり、頭痛一つ腰痛一つを治そうといっても、ケースごとに考慮せねばならないことがいろいろある。

これは極端な運命論めいている。それならいっそ何が起きても「まあ運命なんだから」と全てを笑って済ませるほうが、ひょっとしてどんな高度な医療技術よりも人間にとって好ましい治療法になるのかもしれない。しかしよほどの人間でない限り、少々もがいたり少々の悪あがきはやめようったってやめられない。そうまで達観できないから悩み苦しむのだから、少々の努力くらいはやってみて、一時的であれ少々の成果を得ていると考えもして気をまぎらすほうがまし。そのように思われることも、ある。

「中途ハンパじゃ通用しない」師匠からそんな言葉をいただくことがある。
操体法は自力療法だ。自分に具わった力を見出し、具わった力がどこまで通用するか挑戦していくにはたいへん頼りになる杖である。少なくとも私はそう思っている。人間の意志や努力を駆使して、何をどうすれば治りそうかを考えることは当然だいじである。しかし一人の人間の発する症状を、丸薬一粒で解決しようという安易に流れる昨今の風潮である。様式化・形式化した一つの治療を受けて一発解決をもくろむ安直にとらわれがちな文化的風潮である。
テレビ番組では健康問題をものすごく取り上げているけれど、どれも同じことしか言っていない。「この場合にはこうすれば一発できく」。そういう単純思考をいつの間にか持たされる。どんなケースも一発解決のマニュアルがあると前提し、自分自身の内部から聞こえてくる真実の声に耳を傾ける姿勢から遠ざかっていかざるをえないような文化的・時代的環境が用意され、強化されているのではないかと思わざるをえない。

安易・安直にとらわれた拍子に、ひょいと操体法に走り込んだ二十一年前の自分。ついつい安直にとらわれる自分の日常を繰り返し反省する。考えさせられることは少なくない。
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