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手探り足探りで核心に近づいてゆく―爆発の瞬間を心に描きながら日々を輝かせたい―
2013/01/12(Sat)
きれいな月面宙返り。「これなら私にもできそう」と思わせるほどの出来栄えである。成功と失敗を分かつのは100分の1秒のタイミング。着地のタイミングがずれると無様にひっくりかえる。100分の1秒の狂いを乗り越えたその着地は、かえって誰の目にも安易に映るものだ。
「あん馬」の台に両手をつき、足で歩くのと同じように手で歩く。片手で全身の重みを支え、もう片方の手を上げて一歩踏みだす。その「片手を上げて一歩」ができるには一体どのくらいかかるものだろうか。
「ぼく一年半かかりました」という元選手の答えに、私は少なからず驚いた。
片手を上げるだけのことで一年半もかかった選手。それは誰だろうと思ったら、世界の体操界の歴史に名を残す、塚原光男さんだった。

腕立て伏せのように両手を台につき、両手で体を支える。それは子供でもできることだ。
しかし左手と右手交互に体重をのせかえながら台を一回りするとなると大問題なのである。片手を上げようとしても上がらない。まったく身動きとれない。全体重を支えた腕はびくとも動かず、じいーっと台の上で固まっているだけ。
その状態からどうやってできるようになるのだろうか。
じいーっと身動きできないまま台の上で格闘する。「できない、よなあ…」と思ったり、「まあでも、いつかできるようにはなるんだろう」と思ったり、「こうすればできる、のかな」と思ったり、いろいろ思うのだろうが、とにかくやれるまで続けるしかない。一週間? 一ヶ月? それとも半年…? 台の上ですったもんだして、じっさいに自分でやってみて出てきた答えが一年半だったということだ。

電車のつり革を長くしたようなものにぶら下がり、腕で体重を支えながら回転したり逆立ちしたり宙返りしたりする「吊り輪」。吊り輪で体を支え、宙で静止するのがまた、できないものなのだそうだ。腕を開いて十字架のかたちをつくり、静止する。それができるのに、どのくらいの期間が必要なのか。
「こ~れはねぇ、二年かかったんですよ」
二年間何をしていたか。ひたすらマットに叩きつけられていた。「だって止まらないんですもん。止まろうとした瞬間にはもう落ちている」ひたすら落ち続けて二年がたったある日、「1秒だけ静止できた。この1秒が大きかった」
その次の日は2秒、そのまた次の日は5秒という感じで、日に日に静止時間が延びていったという。
「静止の1秒」。その1秒が自分にやってくるまで数日でも数十日でもない、七百数十日が過ぎても惜しくはない。ワザを身につけるというのは基本、そういうことだなあと、思わず「ううむ」とうなった。

「100分の1秒の着地のタイミングはどうするのかと訊ねられてもねぇ困ってしまうんだ。どうするって言われても、どうにもしようがないですよ。とうてい自分でコントロールなんか、できっこない」
「とにかく体にやってもらうしかないんでね」
「できる」というのは自分がやるのではない。自分でやっているようでいて、じつは「からだにやってもらうこと」なんだと聞いたとき、「ああそうか、やっぱりそういうことなんだなぁ」と納得をした。
「からだにやらせる」でもない。「自分でやる」のでもない。やってもらえるようになるまで、からだのことを研究し、からだのことを理解し、積み重ねてゆくことをやめない。自分に多すぎるのは何で、少なすぎるのは何なのか、手探り足探りで核心に近づいてゆく。核心の領域にじゅうぶんに近づいたとき、カチリと音がして爆発の瞬間に出会えるのだ。その瞬間のために人間生きているといってもいい。
その苦労を思えばバカらしくも感じる。「おいしいものでも食べてゆっくり遊べばいいのに。そんなことができるようになったからって、ねえ…そんなことできなくてもべつに生活には困らないのだし」
身につけたワザも少し怠ければできなくなる。「体調を管理しながら、やり続けるほかにない。まんぜんと繰り返しやっていてももちろんダメですよ」

一つ一つの言葉が私の耳を打つ。今、自分が「できるようになりたい」と思い、「身につけたい」と思って取り組んでいることには共通点のある話だ。
じいっとあん馬の台とにらめっこして一年半。吊り輪から落ちてマットに叩きつけられるのを二年。その姿はまさに「虚仮(こけ)の一念」。しかしただの「虚仮」ではどれだけ時間を費やしてもなかなか核心に近づくことはないだろう。
自分だってラクをしたい。遊んでいたい。しかしそれではせっかくこうして生きて機会を得ているのがもったいない。宙返りはできなくてもいいけど吊り輪もやりたいとは思わないけれど、核心の領域というところには近づきたい。爆発の瞬間を心に描きながら日々を輝かせたい。それは切実な私の願いだ。
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