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この地上のどこかで今も。これからも-自然界のスタンダード-
2013/01/10(Thu)
動物たちの子育ては迷いがなくて、よい。親たちが表情も変えず、よけいな言葉でリクツに頼ることもなく、行動や生きざまでひたすら示すというのも、よい。闘いや、あきらめも、何もかもがいさぎよくて天晴れと感じる。子離れ親離れの映像シーンは何度見ても飽きない。サポート校で不登校相談など長かった後遺症だろうか。
「だってあれは本能でプログラムされているんだから当たり前でしょ。ぜんぜんすごくなんか、ない」といった意見もあるが、そのプログラムが画一でないから、子育てのヘタな個体もあれば、親の鏡のような個体もある。鏡がそばにあるのだから周囲も参考にすればよさそうなものだが、ヘタはヘタなりのヘタなまま平気にやっていたりする。
もともとのプログラムも個体差があろうし、親になるまでに身につけてきた、さまざまな後天的な体験も異なっている。じっさいはプログラムどおりではない。プログラムどおりの子育てをする動物など、ないといっていい。彼らの子育てを見ていると、子育ての基準・標準などを気にしない健全さのようなものが感じられてならない。

営巣地、というのだろうか、子育ての時期にM島に集まってきて、いっせいに生み育てる。そんな鳥たちの様子が先日放映されていた。
森の斜面に掘られた巣穴の中では親と同じ大きさにまで育った子供がいる。すると母はある日出て行ったきり二度と戻らないのである。置いていかれた子は、いつものようにじっと巣穴で過ごし、そのまま二日、三日と穴の中で平然としている。飲まず食わずで四日五日と過ごすうち、親からもらった愛情のぜい肉の分がほど良く削ぎ落とされるに至り、彼らは巣穴を出る。ぐうーんと一つ伸びをして、それから羽をばたばたやってみる。一週間の絶食で身軽になった彼らの体は、もう地面からふわふわと浮きあがっている。
そのすぐそばを、あたふたと通り過ぎてゆくみなし子たちの、群れ。途方にくれたように外を眺めている子供たちも、もう穴の中でじっとなどしていられない。

ついにこの島は「子育ての島」から「親に捨てられた子供たちの島」と化し、成長しきったみなし子たちは森にあふれ、口々に「海へ!」「海へ!」と叫んでいる。巣穴に残ること、この島にとどまること。それは彼らにとっては死を意味しているのである。
海への大移動は、敵の少ない夜半に始まり、明け方まで続く。無敵の飛翔力を誇る彼らであるが、地べたに落ちれば飛び上がれず、足取りもおぼつかない。「海へ!」「海へ!」の大合唱で高い木のこずえにのぼって勢いよく飛び出したまではいいが、降り立ったところが人家や道路のまんまん中で、ぼう然としているものも少なくない。人の持ち込んだ猫の野生化したのにやられてしまうものもある。親の力でここまで大きくなれたものが、自力で羽ばたいたのはほんの数分。あっけないものだ。それでも親は、自分と同じ大きさに成長させたら旅立たねばならない。それこそがプログラムといえるだろう。あれ程けんめいに命を張って育てた子であるが、結局は、もともと備わった自然の力でなんとか生きていってもらうより仕方がない。そんな時がいつかは来る。そういうのはプログラムというよりむしろ生きものの基本、自然界のおきてといったようなものではないかと思われる。

映像画面は命からがら海へ飛び出す若鳥たちでうめつくされてゆく。明け方の空に陽が射して、くっきりとした黒い影が波をなして遠ざかってゆくシーンから目が離せない。海がめの子たちや、海鳥の子どもたちが、仲間が亡くなるすぐそばを、「海へ!」「海へ!」と一心に、海を、命を、目指す姿を、涙なしに見守ることは私にはむずかしい。いやもう思うだけで胸がいっぱいになる。私が見ようと見ていまいと、この地球上のどこかで今も、海へと飛び出してゆく若い命の営みは絶えることなく繰り広げられているにちがいない。そのような命のあり方から私は目が離せないでいる。
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