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見えない力を自在にあやつるということ-床の上のボールが動かずにじっとしている理由-
2012/12/29(Sat)
床を転がるボールもやがては止まる。「摩擦」という力の働きで止まるのである。
動きあるものが止まるのは、なんらかの「力」が作用したからだ。
では動かないボールはどうだろう。力など作用していないと思われがちであるが、地上のあらゆるものはつねに力の働きを受けている。ボールに重力が働くならば、地球の中心に向かって落ちていく。床のボールが地球の中心に向かって落ちていかない理由は、床の支えがあるからである。重力と床の抗力がつりあっているから、ボールは床の上でじっと止まって見える。

体の調整をするときの、操体法の動きには、じーっと止まっているところがある。
操体法の基本の動きは三段階に分けられる。①ゆっくり動き始める。②ほどよいところにきたら、じーっと止まって、しばしタメをつくり、③トンと瞬間脱力を、する。
二人一組になって、一人が補助にまわる場合、補助役は「ほどよいところ」で相手の動きが「じーっと」なるよう、せきとめなければならない。ちょうどよい角度、ちょうどよい位置からはみださないよう、相手の動きを支える。これを「抵抗」という。
AとBの両者が力を出し合って、動きがなく止まって見える場合、Aの出す力とBの出す力はつりあっている。AとBの力の向きは真逆であり、力の大きさは両者ともに等しい。
Aさんが右を振り向くのをBさんが止めたい場合、BさんはAさんに力を加えるとよい。Aさんの動く方向に対して真逆に力を加えると、最小の力で動きを止めることができる。
最小の力とは、Aさんの出す力と同じ大きさの力である。Aさんより小さな力では振り切られてしまうし、Aさんより大きな力では、Aさんを押し戻して左へと動いてしまう。

力は目に見えないので、ベクトルという矢印を利用すると便利である。
力の出どころは矢の根元であらわされ、力の向かう先、終点はとがった矢の先であらわされる。
矢の長さは力の大きさをあらわす。短い矢は小さい力、長い矢は大きい力である。
「抵抗」のじょうずな人に支えてもらっていると、「じーっと止まって、しばしタメをつくり」が、非常に気持ちよく、具合がいい。逆に「抵抗」がうまくいかない場合には、おさまりがわるい。「タメ」をつくることができず、脱力も不発に終わる。
操体法のワザがぴしっと決まるか、的がはずれてしまうかは、「抵抗」の段階に重要なカギがあるといえるだろう。
「抵抗」は外から見れば、ただ動く人と支える術者とがじーっと止まっているだけで、「ワザが決まっている」のか、「はずれている」のかは、映像には映らない。
自分の手のひらで受けとめている相手の力は、どこから出てどこを通過してどこへ向かっている力なのか。
相手の体の中に力のベクトルを描いてみる。そして自分から出ている力のベクトルをイメージする。自分の足腰からぐうんと伸びてゆく矢印と、相手のほうからやってくる矢印とがぶつかりあい、共同で「タメをつくっている」。それを実感する。その実感が、自分に心地よい実感であるのなら、相手も心地よいのである。そして自分でおさまりがつきにくい感じがしたら、相手にもまた、おさまりがつきにくく感じられている。それを「ヘタだな」と感じられることもあろうし、「これなら補助なしのほうが自由でいいな」と感じられることもあるだろう。

野球でもテニスでも、練習風景を眺めていると、ムリな動きをするのは初心者である。肘を張って脇があまくなる。肩をいからせ、体の力が抜けていない。少しうまくなってくると、「ハイヨ」「よしきたホイホイ」と、何をやるにもラクちんそうである。スポーツも操体法も、「ラクな動きを身につけたかどうか」が初心者と上級者とを分かつ。
目に見えない力のはたらきを、ムリ・ムダなくあやつる方法を身につける。
それが練習であり実習だ、ともいえるだろう。
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