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体熱のうち、筋肉でつくられるのが六割、肝臓では二割といわれるが
2012/12/04(Tue)
汗をだらだら流すエキサイティングな運動は気分も高まるからカンタンだ。
日常のシーンの中で運動の要素を増やすというのはやりがいが感じられず、楽しくもなんともない。今日は頂上をいくつ踏んだというような達成感もなく、誰も「すごいですね」などとはほめてくれない。
「だからどうするんだ?投げ出すのか?」と自問する。
山歩きできなくなって五年。筋肉がごっそりおちた。すらりとした足には太ももや尻がどこにあるかわからないくらいだ。「その年齢で筋肉落とすとなかなか回復せんぞ」という一言も痛かった。「足踏みだろうとスクワットだろうと何でもいいからとにかく一日中、こまめに、やれよっ」

体熱のうち、筋肉でつくられるのが六割、肝臓では二割といわれるが、筋肉が落ちると体温が下がりやすいのを実感する。厚着するのがいいというような冷え方ではない。つくられる熱そのものが足りず、厚着をしたからといって体の中はちっともあたたまらない。対症療法的には遠赤外線治療機や温灸、それに温泉や風呂などが効果的だろう。しかし体の働きからいうと「あたためればあたためるほど、冷やそうとする」のだから、めったやたらにあたためればよいということでは済まない。
体が冷えると気持ちのほうもなえる。
まったくもって厄介である。

運動といえば息も荒く、汗をだらだら流すイメージがある。しかし運動というのはそれだけじゃない。
汗をだらだら流すエキサイティングな運動は、気分も高まるからある意味ではカンタン。取り組みやすい。
しかし健康に必要な筋肉は、むしろ地味にこまめに日常のシーンの中で運動の要素を増やすというところからつくられる。すごくない運動がむしろ必要であるが、これは励みになる要素がぐっと減る。
「だからどうするんだ?投げ出すのか?」と自問する。
やりたくない理由をいくら山積みしても、筋肉が落ち、筋肉が落ちたことで損失をこうむるのは私自身である。筋肉を落としていいことなんか、一つだって、ない。

取り組まない理由なんか、いくらでも出せる。やりたくない理由をそうやって、がんがん山積みする。どれだけ困難なことかをどんどん強調する。そして、さいごに、言う。
「見ろ。この困難なこと。これに比べたら山の頂上を目指すなんていうのは子供のお遊びのようなもんだ」
「だからこそ、お前の勇気と智恵が試されているのだ。年をとるっていうのはそういうことじゃないのか」
「困難であればあるほど喜びも大きい。ほんとうの達成感も、そこにある」
「さあ、生きろ。そして、ねばれ」

気がつくと、へこたれている自分である。どれだけ困難なことに直面しているかを、きちんと自分自身でわからなければならない。朝出かけて汗ダラダラして、夕方帰ってきたら「いい汗かいて気持ちよかった」というような単純なことでは済まない。じいっと息をひそめて少しずつ少しずつ積み上げていく地味な作業のどこに喜びを見つけられるのか。
まさに智恵と勇気が試されている日常である。
誰だってそうじゃないのかと思う。

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