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自分の感覚に守られる日々-次はなにが起こるだろうか?-
2012/10/20(Sat)
一口食べて「あれっ?」と思う。ラベルを見る。
純正のものしか買わず食べずを続けてきたが、「純正」にもまた格差がある。妥協もしたしだまされもしてきた。合法的な「無添加」の表示は意味がない。法律そのものがザル法なので合成添加物の混入をさんざん許している。
ほんものを得るためにずいぶん勉強もやった。「どっちが得か、よ~く考えよう」っていうことを何千何万何十万回と繰り返し、手間も時間もバカバカしいくらいにかけてきた。

ソースなどの調味料はいくらでもごまかしがきく。ほんとうの意味での無添加・国産有機・植物原料100パーセントの三拍子がそろったウスターソースが1ビン390円と720円。同じ会社の、まったく同じ小ぶりのビンで、ラベルも一か所以外は同じ。それでいて倍くらいの差がある。
違いは砂糖。有機砂糖入りと、砂糖不使用である。

どうせたくさん食べるものではないから少々の砂糖はかまわない。そう思うときには安いほう。たくさん食べるものではないからこそ数百円ケチることもない。そう思うときには高いほうにしていた。
味はさして変わらない。そう思いたかったが、ぱくっと食べたとたんに「あれっ?」と思う。「あれ? おかしいな」とラベルを確認すると「砂糖」の文字。
「ソースの砂糖くらいは」と済ませようと思った。しかし「あれっ?」と味覚で引っかかるにつれて気持ちにも引っかかりが出てくる。

もしもこのまま砂糖味になれて、私の舌が「あれっ?」と思わなくなったらどうしよう。「どっちも同じ味だ」と思えるようになったら、どういうことになるだろう。
そんなことを考えるようになった。
逆転がおこるのは時間の問題だ。
「あれっ? この味ヘンだな」と思って調べてみたら、砂糖なしのほうで、何も思わずに食べるのが砂糖入りのほうになり、「砂糖なしのソースはダメ。ソースは砂糖入りのでないと」と思うようになったら、なにが起こるだろうか。

私の味覚の正しさの基準。現在は「砂糖なし」のところに合わせられている。それが「砂糖あり」のほうが正しいということに感覚がシフトする。
私の舌が、砂糖の存在を受け入れ、さらに砂糖を積極的に歓迎するようになる。
そんなことになったら、次は何が起こるだろうか?
砂糖の味に違和感を感じない。そんな味覚をいったん身につけてしまえば、私にもまた、人工的な甘味の世界への扉が大きく開かれることだろう。誘惑の声や誘惑の映像が、一気に私の日常になだれこむ。
そうなればもう、何百円安いとか高いとか、そういう問題ではなくなってしまう。
高いスイーツも平気で「買いましょう食べましょう」ということになる。

それじゃあダメだ。元も子もない。
お金の問題じゃない。人工的な味覚への扉には、しっかり鍵をかけていようと思う。
自分の感覚だけは誰にもあけ渡したくない。くるわせたくはない。
11歳のとき菓子類を一切口にしないと決めたあの時、私の人生は大きな転換を遂げたのだろう。
子供じみた小さな転換が、四十年近くも経過するうちに、ずいぶん大きな違いとなっている。
「あ、砂糖入りだ」とわかったら、ぺっぺと口から吐き出した。口の中をヤケドでもするかのように、砂糖を徹底的にきらいにした。今はそこまでしないけれども、「なあんだ。砂糖入りか」とわかったとたん食べる気がうせる。スイーツのきれいな映像を見るのも好きだが、それは花の写真を見るのと変わらない。ああいうのは人さまの食べるもの。自分のではない。そのようなケジメがついている。

ケジメある感覚を温存するために、砂糖なしのソースを定番にする。
ほしいものは自分で作るか、それとも別になくたっていいようなものだけれども、時にはソースもあっていい。
買うたびに、買うまいかと迷うほど高額なソース。
ソースを買うのではない。サイフで痛い思いをして、自分の感覚にケジメをつけ直すということを繰り返し続けてきたのかもしれないなと思う。
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