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化粧しない女の顔ははだかと一緒だと言われた-恥じることも誇ることもなくはだかで勝負しようか-
2012/09/23(Sun)
十八のときは化粧で遊んだが、その後は二十代で一度だけやってみた。
鏡には年増の女の顔が映りこんでおり、化粧がかえってみっともなく思われた。もう自分は化粧はしないと、はっきり思ったのを憶えている。

インディアンの老人たちの日に焼けた顔の写真。なめし皮のような肌に、くっきりと刻まれた力強いシワ。生きた証だとでもいうような、その堂々とした美しさに私は打ちのめされる。十代の化粧した自分の、商業ベースにのっかった顔の美しさなどは足許にも及ばない。
彼らの顔から理解されるのは、化粧で競う段階よりも、はだかの顔で競う段階のほうが、人間にとってはるかに重要なのだということ。
はだかの顔を恥じることも誇ることもなく、白日のもとにさらすこと。
それも自分の顔に責任を持つ一つの方法、やり方だろうとわたしは思う。

はだかの顔に色を塗らなければ、みっともないと思うその心は何なんだろうか。
仮面をかぶせた顔に安心し、さらに誇りたがりさえする心とは、いったい何なんだろうか。
隠したり、仮面をかぶせることもまた、自分の顔に責任を持つ、一つの方法、やり方なのだろう。お金をためて、顔の造作(鼻の高さ、まぶたのつくりなど)をつくろったり肌のなめらかさをつくろったりするために、メスを入れてもらったり樹脂を注入してもらったりするのもまた、自分の顔の責任のとり方の一つなのだろうと思う。
しかしインディアンの老人たちの、あの飾らない表情の美しさはどうだろう。
表情が顔をつくっている。そしてその表情は、人の心が、精神が、つくる。顔など目鼻がついていればいい。変えられない生まれつきの造作のことなどはどうでもよい。しかし長年の表情の積み重なりが、顔をつくり、育てていく。長年の心の積み重ね、精神の積み重なりが、顔をつくりあげていく。
こっちのほうは、おおいに自分自身で責任をとらなければならない。
たとえどんな境遇にあろうとも、こっちの方面ならば誰もがいくらでも自分自身で取り組むことができるのである。

つくろいようもない、隠しようもない、自分の顔というのがある。
自分の顔をより完成へと近づけてゆくという歩みの中に、顔の美しさを見る。
そういうことがもっとあっていい。
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