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モビールの中を風が通り抜けてゆく-心と体のバランスを見る-
2012/09/12(Wed)
体のバランスをととのえる、心のバランスをととのえるとはいわれるが、あいまいである。「そのバランスとやらをここに出してみろ」と問われたらどうするか。

目に見えないバランスを見やすくした装置。
いろんな形や重さのちがうものを、いろんな長さの糸で吊り下げ、自由に動けるようにした「動く彫刻」。それがモビールだ。
一つの棒の左右に重さのちがうものを吊り下げると、重いほうに傾いて無理が生じるところ、別のつりあいを持つものを連結していけば、どちらにも傾くことなくつりあいがとれてゆく。
それ一つではつりあいがとれなくとも、連結を繰り返すことによって、どの部分もすべてつりあいがとれるようにする。そしてさらに全体で大きな一つのつりあいがとれるようにする。
つりあうはずのないものが、つながることでつりあう。

モビールの先にぶらさがったものを一つつまんで軽く引く。すると、水面に波が広がってゆくように、一本の糸から動きが伝わり、あらゆる部分の棒が傾いてゆく。まさに操体法でいう連動といっていい。
つまんだものを、ぱっと離す。全体がゆらゆら揺れる。つりあいが、右へ左へとこわれては、回復する。連結した部分から次の連結へ、さらに次の連結へ、新しいバランスを互いに伝えあい、全体で元のつりあいを回復してゆく。

からだに無理のないよう、全身まんべんなく使う。そのために、重心移動の法則を身につけよう。
そのような提案が操体法の橋本敬三医師からあったのだ。
これが長い間ピンとこなかった。
「重心移動の法則」と、「連動」というのは、わけて考えるものではない。同じことなのだ。
重心移動は重力に適応した体の動きに注目したものであり、連動は、体の内部の構造に注目したものなのだ。
人体を、精巧なつくりの、大きな一つのモビールとして考えれば、そこに重心移動の動きと連動とが同時に見てとれる。
動きとは、モビールのあらゆる部分のつりあいをこわしては、新たなつりあいを回復させる、風のようなもの。
モビールの中を、たえず風が通り抜けてゆく。
一瞬たりともやまない風の中で、一つのバランスに安住することなく、一瞬一瞬の中に新しいつりあいを更新してゆく。重心移動と連動は、理論ではない。日々の日常で当たり前におこなわれている事実である。
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