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お金ができて生活はラクになったか-気力体力の充実こそがカギ-
2012/09/08(Sat)
お金があればあるほど将来がほんとうに安心になるのか。
お金があると、いろんなことができるようになるのだろうか。

人の生活ベースはお金の額で変えることはできない。もともと好奇心の強い人は、お金があろうとなかろうと好奇心が強い。お金がなければないなりに、勉強好きは何とか勉強しようとし、遊びの好きな人はお金のかからない遊びを工夫する。
「お金がなければなんにもできない」とよくいわれるけれども、そのようなことは決してない。
その逆ならば、ある。
目の前に山ほど黄金が積んであっても、なんにもやる気が起こらなければゴミの山とかわりはない。
体が弱ってしまえば、おいしいものを食べても感動がないだろう。
気力体力の充実は、事ほど左様にたいせつなものなのだ。
お金しだいではない。その人しだい。人間の側しだいであると、思う。

身も心もけずってお金のために仕事をしている人がある。家人もその一人だ。
「定年」という与えられた目標。そして「老後の資金」という、これまたどこかで叩きこまれた目標が、家人の「いま」をずっと支配してきた。その目標の達成に日々身をけずり、心をけずっている。操体法で体をととのえるのも、そのきゅうきゅうとした生活を一日も長く続けるためである。
「いくらまで稼がないと自由の身にはなれない」。そう言うのだったら、借金のかたに身を売られでもしたかと問いたくもなる。生活も何だかすさんでしまって、「だってこうするよりほかにないんだもの」「こうして生きていくほか道はないんだもの」などと言っている。思考が檻に閉じ込められて、一歩も外に出られない様子だ。

体がまずまずじょうぶで、こころざしもしっかりしていさえすれば、人は自分の頭を使い、手足を使い、何ほどかのことはできそうなものだ。お金の収支バランスは立派でも、心や体のバランスまではとってくれない。
まだ元気もそこなわれていないうちから「将来への不安」を人生の中心に置いて、べつにやりたくもない勉強をし、べつに行きたいとも思わない大学へ行き、会社で苦痛な作業をさせられ、いやいや生きているほかに、生きる道がほんとうにないとでもいうのだろうか。
そういつまでもいつまでも「将来の不安」に生活をのっとられてしまって、よいものだろうか。
顔色が妙なふうになってゆく家人に、「きっと幸せにしてあげる。将来のことはこっちにまかせな」などと声をかける。そのたびに、「何言ってんの、わけわかんない、アハハハハ」と笑い飛ばされる。しかし半分くらいわたしは本気なのだ。お金持ちにはしてあげられないだろうけれど、いっしょに力を合わせて幸せになろうよと思う。

過去にも未来にもおかされることのない、いま目の前にあるもの。いま自分の手にしているもの。
それが、私たちの掛け値ない財産すべてだ。
「いま」を充実させ、「いま」をほんとうに輝かせること。そこに力を注いでいればいい。充実した輝きを持つ一瞬一瞬の「いま」を積み重ねていく先に、何のわるいことがあろう。

二度とはない、貴重な自分たちの、「いま」。過去にも未来にも、決してそこなわせてはならない、大切な「いま」を見つめて。
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