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体という深い海へ向かって素潜りをする-海の底から聞こえてくる不思議な音-
2012/08/22(Wed)
自分の腰骨のふちをたどるようにして指で押さえてゆく。ピアノの鍵盤を初めて触れる人が、その音色に驚きをおぼえるのと同様に、いろんな感覚が味わえて不思議に思われるだろう。
指先から伝わってくる手ごたえも際限がなくいろいろだ。柔らかいところあり固いところあり、気持ちいいところもあれば痛いところもある。
ピアノの鍵盤を順々に押し、音の高低を楽しみ、押し方を変えてみて音の変化を発見しながら、いつまでも愉しむ。そんな楽器のようなところが、体にはある。
その中に鍼灸でいう「ツボ」もあるだろうし、操体法でいう「圧痛点」もあるだろう。
操体法の「圧痛点」とは鍼灸の「ツボ」のような場所のこと。必ずしも固定された場所ではないが、自分の所有する橋本敬三医師の指導テキストには重要箇所が詳しく伝えてあり、まったく重宝する。

「押す」というのはじつに楽しく、また際限がない。
鍼灸の専門の方や、ものの本によると、ツボも経絡も固定したものではないという。時代によって季節によって、各人によって時と場合によって、変動するものととらえられている。圧痛点もまた、テキストには重要ポイントが図示されているものの、「ここらあたりです」という目安でしかない。目安がなければないで困るが、たとえ目安があったとしても、圧をかける指先の操作によって感じられる感覚もちがう。
「圧痛点の中でも最大圧痛点を見つける」「最大圧痛点の痛みの感覚から逃れる動きをすればよい」などといわれるが、ここは経験にもとづく感覚がものをいう。
名人・達人というのは、圧痛点の場所も、圧のかけかたも、ちがう。
どんな場合に、どこをさぐって、どのような動きを誘導するのか。目を皿のようにして学ぶ。

「腕が挙がらない」というときに、圧をかけて痛みを感じてもらいながら、「腕を挙げてみてください」と声をかける。いくつかの圧痛点で試してゆくと、「あ?さっきは動かなかったのに。動きます動きます!」というポイントが見つかる。圧をはずすと、「あれれ?また挙がらなくなった」。
そういうのが重要な「圧痛ポイント」である。
そのような決め手となる「圧痛ポイント」をゆるめる。痛みや不快感覚が感じられなくなるような、姿勢なり動きなりを誘導する。それが操体法の匠の技である。
ツボや経絡と、圧痛点との関係は、必ずしもイコールではなさそうだが、橋本敬三医師によって何らかの関連が存在すると指摘されている。操体法の習熟には、ツボや経絡のことも少しは身につけておく必要がある。

「気持ちいい動き」くらいなら、べつに体操やストレッチの延長でやっていける。しかし「圧痛点」ともなると、先人の経験と教えを受けずしてその扱いを身につけるのは非常に困難なように私には思われる。
とりあえず乱暴にいうと、圧痛点とは「軽く押したときに痛みが強く感じられるところ」。強く押せばどこだって多少は痛みを感じるが、それは圧痛点ではない。ただ押された痛みである。
圧痛点はストレートにコリの場所を示すと思われがちであるが、そうではない。
体のゆがみや筋肉のコリの影響を受けて、さまざまな感覚を伴う痛みをもたらす場所である。
痛みや不快感覚は、鏡に映った姿のようなもので、「そのもの」ではない。
光の反射の仕方によって、見える映像がゆらめいていたり、映像の見える場所が変わってくるのと同じで、症状にとらわれていてはその痛みを発する光源(=コリ)を見つけることはできない。
「圧痛点の痛みから逃れる動き」で、体は修復される。圧痛点の痛みが半減もしくは皆無になったところでじっと動きを止め、一気に脱力をすると、さまざまな症状が瞬時に消える。そういうデモンストレーションを橋本敬三医師はやってみせている。

操体法は「筋肉のコリが万病のもと」という仮説をベースに成り立っている。「気持ちよい動き」も、「圧痛点」も、すべては外からは見えない。直接さわることもできない。そのようなコリを扱うための、方法であり技術である。
体の深部の感覚を探るのは、深い海の中へ向かって素潜りをするような体験である。暗い海の底から聞こえてくる不思議な音に耳を傾け、かすかなあやしい光に目を見張るような、ぞくぞくする愉しさがある。
症状や動きの制限に、表面もしくは深部のコリの存在を見る。圧に対する痛みの感覚に、表面および深部にあるコリの存在を聞いて、その解消をはかる。
圧痛点なしの操体法は、骨抜きというほかは、ない。
痛みの感覚は患者本人が感じ取るほかはなく、圧痛点を押したときの指先の感覚や手応えは術者自身が感じ取るほかはない。そこに「快方向の動き」が組み合わせられるとき、操体法の威力が発揮されてくる。
もちろん、「気持ちいい、ラクな動き」だけでも喜ばれはするだろう。しかしそれでは片手落ちというもので、限界も見えてくる。まるで歯が立たないケースもたくさん出てくるだろう。

指先で圧をかけると、いろんな光景が目に浮かぶ。いろんな音色が聞こえてくる。まさに体は楽器である。
キャンプで寝つけないときなどは、時間つぶしに自分の全身をくまなく押してみる。背中だろうとどこだろうと、好きなところに指先が届き、好きに圧をかけられるようになる。
じつに愉快である。

次回は「連動」について述べる。
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