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白馬にまたがって現れるブラックジャック先生を求めて
2012/08/18(Sat)
家人が手術を強く希望している。積もり積もった長年の不摂生のツケを、医者のメス一本で清算するという壮大な試みだ。果たして成功するだろうか。

医者の腕前には歴然とした差がある。医者により病院により治療結果も異なるが、メディアに出回る「名医リスト」「病院ランキング」は信用に値するだろうか。こうしたランキングがほとんど失敗に終わっていることを、その原因とともに指摘する医療専門家もいる。
医療ミスのない病院はない。死ぬはずのなかった手術で死に至らしめた例を持たない医者も、一人としていない。医療行為で患者さんが死んでも、一般には過失とはみなされないことが多い。
手術では麻酔をはじめ、たくさんの薬が使用される。医者の処方した薬が正しく処方されても、死ぬはずのなかった人が死ぬのはめずらしくない。なぜだろうか。
どんなありふれた薬にも、一定の確率で死亡を含む副作用が生じる。その事実は社会的に認められている。だからきまりが守られている限り、いかなる結果も過失とはならない。
内視鏡は安全といわれるが、どんなに上手な人が使っても、内視鏡の先は固く、内臓の壁を突き破ることはあり得る。よって、一定の注意事項が守られてさえいれば、重大な事故が生じても医者の過失はないものとされる。
どんな手術でも人が死ぬことはある。一定の注意事項が守られていたのであれば、手術が原因で死人が出ても過失ではない。かりに遺族が訴えて裁判になっても、裁判官もそう判断する。
たとえ「ミスをおかした」と自分でわかっていても、わざわざそんなことを言う人はいない。医療行為を実行した当事者にしかわからない過失は見逃されてきたし、今も見逃されている。だから過失を原因として死亡している人は相当数にのぼるはずだ。

以上は、講談社出版の『よくない治療、ダメな医者から逃れるヒント』(近藤誠著)の25~26ページおよび88ページの内容である。自ら実績のある医師で慶応大学医学部で教鞭をとっている先生の立場から書かれた本だから、無視するわけにもいかないだろう。
「どんな薬も死ぬことはあるよ」「どんな軽い手術でも死ぬことはあるよ」というのが社会常識であり、それがあって医療が成立しているということ。そして患者の世界で想像される以上の頻度で死亡者が出ているらしいということ。58~65ページには「医療消費者ネットワークMECON」に寄せられた相談のごくごく一部が掲載されている。病院の日常で何が起きているのか、少しは知っておいてもいい。
医療現場を日常として過ごしてある方に少しでも話を聞けば、この本に書かれたことは実感を伴った事実。じっさいの生きた人間の体では、何が起こるかわからないのである。医療行為で救済される数が、医療行為の犠牲になる数よりも多いならばという、多数決の理論で自分を納得させながら、いくつもの保険に加入して日々緊張を強いられているのが、医療従事者の現実だ。
もちろん患者の側からすれば、貧乏くじは引きたくない。ある一定の割合で必ず出てくるジョーカーを、自分だけは引かないだろうという根拠のない安心で、病院に、医者に身をゆだねているようなぐあいだ。副作用についてこれだけ情報が出回っていても、自分だけは副作用を免れていると信じて飲まれている。自分の飲む薬の副作用をきちんと調べようともしない。それが薬の現実である。
手術もまた同じ。医療従事者の目には「患者さま」は病気で苦しむ一方、現実を知らない気楽な稼業のように見えてしまうこともあるのではないだろうか。

新潮文庫『がんは切れば治るのか』p.199から以下引用する。
「手術でからだにメスが入れば、程度の差こそあれ、必ずなんらかの合併症や後遺症が生じる…第一には人間のからだが脆いからで、第二には、人間のからだがメスに慣れていないからでしょう…ありきたりの手術で死亡してしまうのは、人間のからだが脆くて、メスに慣れていないからだと思われます…人は手術をうけるようにはつくられてきませんでした。それなのに、胸やお腹という、空気にふれることを予定していない部位を切りひらいてしまうから、細菌が取りつきやすくなり…致命的な感染症に移行してしまうのです。また繊細な腹部に手をふれるから、目に見えない傷ができ、あとで腹膜どうしがベタベタくっついて腸管を細め、腸閉塞を引きおこすことにもなります…合併症や後遺症という言葉からは、なにか例外のような印象をうけますが、むしろ必然の事態と考えるのが正しいのではないでしょうか…手術は本来不自然なもの…合併症やそれに起因する死亡は、どんな名手がおこなっても、一定程度、不可避なのです…患者さんはみな、あまりにやすやすと臓器切除に同意しているように思えてなりません…あとの状態を想像することができないのが、理由のひとつでしょう。」

『よくない治療、ダメな医者から逃れるヒント』には、医者の行った手術の傷あとを比較する写真がいくつか掲載されている。家人は黙ってそれに見入っていた。
同じ手術を行っても、手術の傷あとは大きく違う。外から見てこれほどまでに違うとしたら、腹の中のできばえの違いはいかほどか。「料理屋の板前さんでも呼んできて切除させたほうが、よほどきれいに仕上がる」と言われるほどひどいものもある。それが世間では「名医」で通っており、ランキング本の常連だという。以前はお腹の手術をしていた「名医」が、術後の患者があまりに死んでしまうため、自発的に転向したという噂もあるというから驚きだ。しかも、そんなのはとてつもなくでっかい氷山の一角だというのである。
そのうえ、どんな名人が切ったとしても、「切る」ということそのものが、患者の世界で思われるほどカンタンなことではないというのだ。
これでは家人の手術でどんなことが起こっても、おどろく気持ちにもなれない。
ただ願わくば、手術の結果を記録くらいしてほしい。それは死者への礼儀でもあるのではなかろうか。医療過誤や医療ミスや、薬の副作用で起きたことも、せめて記録し、公開してほしい。それが患者の側に立ったときのしぜんな気持ちである。
どんなことも覚悟したうえで手術台にのるのなら、死んでもうらみっこなしだ。
人は完全じゃない。ミスしようとしてするのではないし、死なせようとして死なせるのでもない。
完全を要求されたら手術を引き受ける人など一人もいなくなるだろう。
ただし、外科医の資格は、今までの野放し状態を一日も早くあらためてほしい。アメリカの基準で試験をしたら、一体どれだけの日本人医師が外科医として残れるだろうかと思う。

自分のミスで死んでゆくのか。それとも他人のミスで死んでゆくのか。結局はどちらかを選ぶしかないのだろう。
私はあまり他人を巻き込みたくはない。ミスをしたとわかった医療従事者は、人にも言えない悩みをかかえるかもしれない。少なくともストレスにはなるはずで、それは私はイヤである。他人に頼るのならうらみっこなしが原則だが、人間はすぐに他人をうらむようにできているから、最初からできるだけ頼らない、他人に難問を押しつけないで生きるほうがよほど気がラクだ。
手術を受けるにせよ受けないにせよ、家人ももうこのままではやっていけないと感じているだろう。しかし白馬にまたがったブラックジャック先生は、何とも魅力的。現代のキリストさまは片手にメスを握っている。難問を一気に片付けてくれる、永遠に捨てがたい、夢のような存在。それが名医なのだと思われる。
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