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生活の中で失われてゆくもの-自然にたくす・土に返すということ-
2012/06/09(Sat)
友だちが柿をかじっているなと思ったら、それをぽーんといきなり放ったのである。柿は気持ちよさげに空をきって野原のどこかに落ちた。そんな子供の頃のワンシーンが目に焼きついている。
あのように潔く、むしろ捨てるようにして何かをたくすということを、私はまだ一度もやったことがないような気がしてならないのである。

腐りかけた玉ねぎが生きるか死ぬかは、土に埋めてみればわかる。
何日待っても芽が出てこなければ、土に帰ったのである。
しかし芽が出てきたら、そこは玉ねぎの生きる場であり、繁栄の場である。
土には玉ねぎの生も、玉ねぎの死も、いずれも折りこみ済みなのだ。このようなゆるしと包容が、土が土であるゆえんである。土のぬくもりとか、土のあたたかさとかいう言葉は好きではないが、土は人間には望みようもない、はかりしれない包容力を持つと感じている。
それをぬくもりとか、あたたかさと言いたくなるのかもしれないが、冷たさもあるのだ、土には。
人間も玉ねぎと同じ、生命を持っている。だから土に埋められた玉ねぎの気持ちで過ごすしかないときも、ある。

「医療技術の発達」のもたらす世相を見るに、もともと面倒なところを無理にかかえこもうとすると、さらに面倒、厄介をかかえこむということになるのだろうと思う。
生きるにせよ死ぬにせよ、人は生命を持てあますものなのかもしれない。あの宙を舞い、土に落ちた柿のごとく、ぽーんと自然のもとに返してやるしかないことも、あるのではないか。

虫にでも食われたか、ふみつぶされたか。種は腐ったか。芽を出したのか。
どこか遠くへ飛んで行った、あのかじりかけの柿の実の行く末も、わたしのあずかり知らぬところである。
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