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交通機関が不便じゃなくて、私自身が不便な私なのである
2012/05/31(Thu)
山歩きは車の運転が長時間で疲れる。高速バスはガソリンの心配も迷う心配もないが、それでも私のすべてを充足させるわけではない。どちらがよいというのではない。使い分ければよいのである。
ここで無茶を言う。「どこでもドアならいいのに」。
好きなところにいつでもどこでもひょいと行ければ、車もバスもなく山歩きが楽しめる。いやそうなれば山歩きの意味もないのかもしれない。

今回わけありでロープウェイ登山を初体験した。気楽きわまりないが、自分を充足させる選択ではない。ロープウェイを使ってでも頂上に行くか。頂上に立てないのを承知で自分の足を使うか。もしくは遠い山には金輪際出かけないのか。その三つが今の自分の持つ選択肢である。
「頂上に立つことを前提に自分の足で歩く」という選択は、今の自分には「足をつぶす」という選択でもある。自分の足でふつうに歩くことを半永久的に放棄する意味を持つであろう選択を、強行すべき理由は今の私にはない。

ロープウェイの切符売場で、私は確認した。「片道でも買えますか」。
ホームページでも売場でも、往復料金の案内だけだった。他のロープウェイ会社は片道料金も提示しているので、ここは往復しか受け付けないのかと思った。もしそうだったらロープウェイで往復する。片道ずつ買えるのなら頂上に立って下りを判断したい。
「上り下り別々に買えるが登山届けを出してもらう」との返事だった。
意地悪な見方をすれば「原則は往復」と思わせたいのかもしれない。頂上の花も時期が早すぎてホームページに表示されていた「見ごろ」ではない。「見る側の見ごろ」と、「見せる側の見ごろ」は結局のところ一致しない。
それでもロープウェイの苦しい経営が続くことを私は願い、感謝せねばならない。ロープウェイがあったればこそ、遠出の意欲もわいたのだから。ロープウェイなど唾棄すべきものと決めつけていたころは、こんな日がくるとは想像もしなかった。

足でゆうに二時間かかるところをわずか十分である。それでは私の心がまえは間に合わない。ひょいと上げてもらった頂上で私は何を思い、何をしてよいやら分からない。
足の調子は思ったよりひどい。登山どころか歩くだけでも少々苦痛である。花などもうどうでもよくなって早々とロープウェイの駅に引き返すと、次の便のゴンドラから吐き出されてきた人々の流れに私は巻き込まれた。これまで山上で見知った人々の姿や顔つきとはまた違った風情だということを、そのとき私ははっきりと思った。それがよいとかよくないとか、そういうことではない。ただ違うのだということ。異なるのだということ。それを自分はもっとよく理解し、狭量であることから解放される必要があるのだと思った。

構内の土産物屋の店先に立っている若い店員に声をかけ、下山道のありかを尋ねる。「あ、すぐそこの」と言いかけて外に出て案内してくれる。標高差800メートル、距離にして4キロ足らず。その数字が今の自分にはたいそう気が重い。歩いて足を傷めつけても何の益もない。それは分かっている。木立ちに口を開けている登山道を覗き込みながら、ロープウェイで下るかどうか、まだ迷う。バカ天気の頂上とは打って変わって、暗がりに漂う陰気な風の中に、火山性の真っ黒い土の道がうねうねとどこまでも続く。古めかしい看板の「下山道」という筆書きの文字を見ると、どこにも逃れられない感じがする。

岩場も鎖場もない、特徴を欠いただらだら道を下っていると、どこの山を歩いているか分からなくなりそうである。ずいぶん以前に登山歴の華やかそうな男性と、近所の山中でいっしょになり、話をしながら下ったとき、「北海道も九州も、歩いているとあんまりかわらない」と冷めた調子で男が言うのを、当時の自分は「これからいろんな山でいろんな体験をするのだ」と思っていたものだから、気を損ね、心の中で強く打ち消した。しかし山のほうではいろいろであっても、歩く自分はそう大きくかわりもしない。まあどの山も似たようなもの、ともいえるのである。
足にまかせて歩き回った山がいろいろと思い出されてきて、どうにもこの山に集中できない。
足が前に出ないのだ。目が先のほうばかりを追ってしまう。これだけ足が出ないとさすがに楽しくもなんともないものだ。
すれ違う上りの登山者たちはずいぶん荒い息である。最初から最後まで同じような傾斜が続くので、ここは案外と苦しいのかもしれない。下りも苦しいほうのコースかもわからん、とうそぶいてみる。
「一気登山あと○メートル」の標識が500メートルごとに続く。海抜ゼロメートルから全行程12キロ歩くという、その集団の姿と顔を頭の中に描いてみる。その中に自分の姿はないし、その中にいたいとも思わない。私はもう早くこの山の中から脱け出したいだけなのだ。
上りをがんばったあとの下りが苦しいのは、実は楽しいことなのである。何一つがんばりもしなかったのに下りが苦しいというのは、わけがわからない。何もかも勝手がちがう。どちらがいいとか、よくないとか、そういうことではない。

結局、下りに三時間かかり、翌日は寝込んだ。全身ずいぶん痛んだが、調整でうまくしのげた。足のダメージもさほどではない。
もうこんな山歩きはよしにしてはどうかと思う。どうかとは思うが、まったくできないということでもないから、すっかりあきらめがつくということもない。少々のよゆうがあればまた、自分はやるだろう。無理にやめることもない。無理に続けることもない。よたよた歩きの下りだけ登山でも、やっぱり自分は出かけてゆくだろう。
よいとかよくないとかいうことではない。しょうがないことなのだ。こんなあきらめ登山もある。それを受け入れるだけのことなのだと自分に何度も言い聞かせる。
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