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☆鼻水を、ゆるす。アトピーも発熱も腫瘍も、もうゆるす☆
2012/05/08(Tue)
生まれた時から鼻水たれ。「治さねば」という考えで10年いろいろやらされた。危険な手術。強力な薬。それでいろんな障害をおこしていた。肝心の鼻水は悪化していった。
大人たちは「鼻水を治しましょう」という姿勢をくずさなかった。体を少々こわしてでも。命を少々危険にさらしてでも、ということだった。
体を少々こわし、命を少々危険にさらしたが、それで半世紀経った今も鼻水たれ。
こわしてさらした分のツケは今も一人で払い続けている。

甘味を断ち、油や動物性の食品全般を減らしたら、病院や漢方薬でやらされたどんな治療より大きく改善したのが子供ながらに分かった。それで病院通いが不要になった。11歳のときのことだ。
治療に支払ったお金の合計。通院にかけた時間や手間の合計。精神的不安と恐怖(副作用と後遺症は後々分かってくる)。
これをはかりの一方にのせてみる。他方には、甘味を断つ手間をのせてみる。
ハッキリと子供の頭で考えたわけではないが、どちらが効率よいか。
大人はいろいろ理屈をつけたがるだろうが、私は子供だったから、迷路の出口はすぐに分かった。

病人に勝手にこんなことされたら、医者は顔を青くするだろう。
私の治療に支払われたお金の合計を、子供の私のように考えることは、絶対にできないからだ。

病気もあんまりかからないし、病院通いも長くならなかった人には、こういう事実を体験したこともなく関心もないから、分からない話だろうとは思う。
しかし全体的に、これに似たような体験は増えていっているのではないか、これからも増えていくのではないかと、私は案じている。

アトピーは、操体法と山歩きを中心にすると完全に消えた。しかし鼻水ばかりは出てくる。
鼻の通りは、よい。大人たちの方針に従っているあいだ、左右の鼻の穴は同時に空気を出し入れしたことは一度もなかった。両方とも完全に不通なことが多かった。だからこれはむしろ飛躍的な改善といえる。
しかしわたしの心の中に、ふいっと、「この鼻水を治してみようかな」という気が起こることがある。
「このくらいまでしか治らないかな」と思うのだ。
これまでも、いろいろ自分でやってみた。もちろん改善はする。しかし長続きしない。
体については「わるいところは何がなんでも治さねばならない」とがんばる気持ちが起きるほうだ。「わるい体は死んででも治さなければ」という命がけの気持ちにさえ駆られる。
だからときどき、「自分のこれを治してみようかな」などという気の迷いも生じる。

「この鼻水があるから自分は元気で生きてこられた」。ふとそういう思いが起こる。
「アトピーがあったからここまで生きてこられた」。そういうようには考えられないのかな。
体がまちがった選択をする。だから私たちはしっかり監視して、正しい方向へ導いてやらなければいけないのだろうか。体が選ぶ方針よりも、私たちが選ぶ方針のほうが、正しいのだろうか。

もちろん鼻水たらしながらより、たらさずに生きるほうが、よい。皮膚をただれさせたり、発熱したり、体の内部に腫瘍ができないほうが、一見、望ましくもみえる。
しかしそれは人間の価値。社会的価値である。体の活動のあらゆる実行は、「命を維持し、元気に長らえる」というテーマに忠実なはずだ。生命の歴史数十億年の間に身につけてきた体の智恵が、そうそうカンタンにまちがったことをしていては、ここまで生き延びてこられるわけもない。
それどころか、私たちが鼻水やアトピーや発熱や高血圧や腫瘍やその他の生命活動のことに、とかく口出し手出しする方針で生きていくと、この先の生命の歴史がどうなってゆくか。その方面についての保証はまったくない。

そういう目で見てみれば、「鼻水たらしちゃいけないよ」「高血圧なんかダメじゃないか」「腫瘍なんかつくったら危ないだろう?一体なに考えてるんだよ」などと体とケンカして張り合うのは愚かなことかもしれないのである。
「よし、ダメでお馬鹿な体を、私が治してやる」という考えでは苦労が多く、かえって迷路に追い込まれる。ストレートに体に治してもらう。自然の力で治していただく。
結局はそれしかないのではないか。
どこまで体を応援できるのか。体の決めた方針に協力できるのか。体の力がじゅうぶんに発揮されるよう条件をととのえて余力をつくってやれば、気づかぬうちにいろんな改善・回復が、それと分かる。

自分が11歳からじっさいに体験してきたことのすべてである。
危急のとき以外については、よほどでない限り体の方針・方向性を尊重する。文句を言わない。口出しもしない。
「分かったよ。協力はする。でも鼻水はゆるす。アトピーもゆるすし、発熱だろうが腫瘍だろうが、それぞれにそれなりの理由あってのことだろうから好きにやってくれ」ということだ。
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