死ぬのがこわくて・・
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2023/01/31(Tue)
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死ぬのが恐い・・と相談を受けました。
生きてるものには共通の恐れだと思う。 死を逃れようとして生き物は一生懸命です。 白隠禅師にしても、幼い頃から「死ぬのが恐い」と泣いてたそうで・・ そして自分も恐ろしい死が先で待っていると思ったら、 学校なんか行く気もなくなって・・小学校の中でも浮いてました。 恐ろしい死が自分の先で息をひそめているのなら、 むしろ自分から死んでやると思って、 23歳で死ぬんだと決めたところ、少し落ち着きました。 その後、自分はどうなったかというと・・ 家庭内がごちゃごちゃしてきて、家庭経済も崩壊して、 中学を卒業と同時に家を離れ、 身内の会社で働かなければならなくなり、 心身ともにストレスフルな生活に追われて3年後、大病で倒れた。 体がだるくて寝床に溶けてしまいそうで・・生きた心地しなかった。 そして医者に宣告まで受けました。 「すぐには死なないが・・いずれ死ぬときはこの病気で死ぬ」と。 まだ18歳ですよ・・さすがに早すぎる死はイヤでイヤで・・ マクロビの自然食などまじめにやって、 死ぬ前に大学生活を楽しみたいと思い、 独学で大検を取得して、自分の納得のいく大学へと進学しました。 進学した年っていうのが皮肉なことに、 自分が自殺しようと考えてた年齢・・26歳でした。 それでも、ときどきは、どうせ先に行くと死が待っていると思うだけで、 髪の毛が逆立つような恐怖に人知れずとらわれていたのです・・ 大学で宗教哲学の講義を受けてから、 「死」というのはどういうものだろうかと疑問を持つようになりました。 自分が恐れている死というのは何かと考えると、 ちゃんとした答えを持ってない。 死というものが何か、よく知らないまま恐がっているんですね。 世界には、死とは何か、生きるとは何か、さまざまな解釈や教えがある。 私は生と死を扱う宗教について、学校でも家庭でも、何も教わっていない。 わけもわからずこの世に生まれおちて、わけもわからず生活を送って、 わけもわからずこの世での生活に終わりがくる・・くらいの考察しか、していない。 ちょっと考えてみるか・・って思うようになりました。 死後の世界って、あると思いますか? 私は大学を卒業後、操体法と出会いました。 その指導で、死後の世界について会話を重ねてきました。 死後の世界があるかないか、それは考えてもムダである。 死んだあと、この世に戻ってきたひとはいないので、 「こうだったよ」と教えてもらうのは不可能だと。 死後の世界が、もし万一あるとしたら、 死後のことも考えて、生き方を考えたほうがいい。 たとえば単純にいうと、この世でわるいことをしたら死後に罰が待っている。 この世でよい行いをすると、死後によい報いが待っている。 そのような教えが宗教にはあるわけですね。 それで生き方は変わってくるでしょう。 死後の世界があると想定していたのに、実はなかったとしたら・・ 死後に備えて生き方を決めていたのは、ぜんぶムダになるでしょうか? ムダにはならないというんです。 なぜなら、宗教の教えに従って、よい行いを積んで生きるということは、 生き方としてもわるくないからですね。 死後の備えもなしに、もし死んだあと、 じつは死後の世界がありましたとなれば、備えがないひとは困るでしょう。 だから、いずれにせよ、死後の世界のことを考えて、生きたほうがいい。 まあそんな結論を自分なりに得ました。 死ぬのも恐いけど、死後のことも満足させる生き方ということについて、 ちゃんとやんなきゃなあ・・と思うようになり、 いろんな宗教を調べて、その教えや死生観について考察するうちに、 死が、ほんとに恐ろしいものなのか、 自分には判断できかねるようになってきた。 まず、ちゃんと生きること。 死後の備えまで考えた生き方のことを、ちゃんと考えること。 そう自分に言い聞かせるうちに、不要な恐怖の部分はけっこう消えた。 自分も60歳まで生きてしまった・・ 鏡の中の自分の姿を見るたびに、 こんなつもりなかったんだがなあと思いますよ。 最近は、ネコを広い霊園で散歩させていますが、 法名碑などに刻まれたひとびとの享年を見ていると、 還暦前にお亡くなりになったひとなど、いくらでもいるのです。 生まれ年や、ほんの数年で亡くなった子供さんもいるのです。 それがいけないことか、悲しいことかと考えてみるのですが、 私などが判断できることではないのです。 二歳で亡くなった方が二人並び、その隣に享年百二歳という人もあり、 なぜこうしてこの世に生を受け、そしてこの世を去っていくか、 どこから来て、どこへ行くのか。 それを勝手に悲しがったり恐ろしがったりするのは個人の自由ですが、 私は何となく、わからない気持ちになっています。 私には、最初からそれを決めることもできませんしね。 スポンサーサイト
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生きものの自由を奪うのはよくない・・現実では難しいけれど…ペットにしてみたい動物は何ですか?」
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2023/01/26(Thu)
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いま、私の部屋には1匹の猫がいる。
4匹いたうちの、さいごの1匹。 4匹みんな野良の子猫だった。 ひとに頼まれてそのままになったのもいる。 20年かかった。 子育てよりロングラン・・食べるのと排せつするのは毎日ですし、 介護・管理が一生必要な状態だと感じます。 子供はいつか自立するし、親もまた自立をうながします。 ところがペットは自立しないで一生子供のまま。 しつけはしますが・・生活に自立はない・・ 飼い主の私も自由を制限されて、彼らも自由を制限されて、互いに不幸です。 「かごの中の鳥」とはよく言ったもので、かごの中や檻の中に閉じ込めておかないと、 生きものたちは勝手に好きなところへ出て行ってしまう。 もう二度と会えなくなる・・イヤだと思うのは人間のほう。 「保護する」っていうと聞こえはよいのですが、 生きものの自由を奪う権利は自分にはないとずっと思ってきました。 なぜ日本では猫が自由に生きる権利を奪ってしまったのか・・
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酵母を育てたくなりました(^^♪・・水と砂糖とフルーツと
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2023/01/21(Sat)
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みなさま、おはようございます・こんにちは・こんばんわ~
最近は、こんな動画↓↓を眺めては、いつかやってやろうと考えています。 ミカン酵母とか、紅茶酵母とか、いわれるものですね。 薄い砂糖水に、カットしたフルーツを投入したり、紅茶をふり混ぜたりするだけです。 日が経つうちに、ぷくぷくと泡が発生し、水中でイースト菌が増えていく。 酵母水ができるんですね。 ミカン酵母の場合は、そのままジュースとして飲めるらしい! 酵母水でパンも焼けるようです。 小麦粉を、酵母水で練って放置しておくと、膨れるんですね。 膨れては少し空気を抜いて、再び休ませて膨らむのを待って・・ 2、3回繰り返すと立派なパン種の出来上がり。 オーブンに入れて焼いたら、ふわふわの香り高いパンができるはず・・ いつか実行したら、またご報告したいと思います! ではまたお会いする日まで! ↓↓ 酵母のつくりかた動画 みかんやレモンにも酵母がいるよ・・天然イースト作り 紅茶で酵母がつくれるんだって・・天然のイースト |
交通事故にあって以来あきらめてたことを・・2023年にやってみたいこと、始めてみたいことは?」
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2023/01/20(Fri)
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みなさま、おはようございます・こんにちは・こんばんは~
お立ち寄りくださってありがとうございます。 私は山歩きをやってたんですが、山を歩くたびに思ってました。 またここに来れる日があるのかなと。 二度と行けない場所っていろいろありますが、とくに交通事故にあって以来、 ごっそり筋力が落ちて歩けなくなりました。 年もとる一方なので、昨年に一念発起して、 「60歳で九重の頂を踏む」ということを目標に据えました。 40代のころは九重はよく登ってましたが・・今や手の届かないような場所に! 少~しずつトレーニングを始めて、徐々に調子を上げていったものの、 トレーニング4か月目にして転倒。 ひざを強打・・もうダメかと思いましたが、何とか持ち直しました・・ もう登れなくてもいいのにと迷いもしますが、脚の筋肉が少し戻ってきて、 我ながらカッコよくなってきたなと・・心の筋肉も少しついてきたのかも・・と。 6月には九重に行ってみます。ほんとに久しぶりです。 頂を踏めなくても、けじめはけじめで登ってみます。 そのときのことはまたブログでご報告したいと考えておりますので、 よろしくお願いします。 トレーニングのことが頭から離れません。 それが生活の支え・心の支えになってくれてるようです。 6月の九重にはミヤマキリシマという花が咲きます。 それを見るまで生きてるかどうかさえ、わからない身の上ですが、 先に楽しみを持って過ごすというのはわるくないと思います。 それではまたお会いしましょう! 心健やかにお過ごしください(^^♪
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一度も足を入れたことない場所・・ゲームセンターで一番最初に遊ぶものは?」
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2023/01/12(Thu)
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こんにちは!年末年始いかがお過ごしでしたでしょうか?
天気がよくて暖かかった年末年始・・ 自分は外で過ごすことの多い年末年始でした。 猫さんといっしょに車に乗り込んで、 近所の墓地、霊園公園に毎日出かけておりました。 ファミリーでお墓参りの方がとても多く、 霊園の駐車場は24時間開放されておりました。 墓石が水できれいに洗われて、お墓周辺の草むしり、そして花のお供え・・ 何よりご家族そろってご先祖様に向かって手を合わせ、 こうべをたれて祈っておられる姿があって、空気が浄化されておりました。 桜の名所でもある霊園です。 陰気なところはまったくありませんが年末年始はとくに明るくきれいでした。 知人からメールあり、 長年同居していた猫さんが眠るように死んだと報告いただきました。 新しい年を迎えて数日ののち、息をひきとったそうです。 どう言葉をおかけしてよいか、心に引っかかっていたところ、 霊園の一つの墓石の側面に、 「散る桜 残る桜も 散る桜」と彫ってある文字が目に飛び込んできました。 散る桜は、雪のように舞って、とてもきれいですよね。 しかし花びらを散らすということは、花の終わりを意味します。 だからきれいだなと感じると同時にさびしい。うら悲しい。 そのように見てる自分、そのように感じながら桜吹雪の中を歩く自分にしても、 いつか必ず散っていく。 命はいつか終わりを迎える。 そして日々、命の桜は散っています。 日常、見ていなくても命は散っています。 それは人間だけじゃありません。 生きとし生けるものは、生命あるがゆえに終わりを迎えます。 自分もいつか、命の桜吹雪に加わって、花びらを散らします。 何だか桜吹雪を見ているような気分になりました。 すごい句だなと思ったら、良寛和尚の辞世の句といわれるもののようです。 いつか知人にも、この句をお伝えできたらなと考えています。 時間があればアウトドア・・考えてみたらインドアでゲームという体験がなかった。
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
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2023/01/04(Wed)
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おだやかな新年の始まりでした。
お天気よくて初日の出も見れてよかったです。 私の地元では初日の出の時刻は7時20分過ぎで、 じっさいに見れるのは7時40分ジャストくらいなのでハードル高くない(^^♪ 出かけるときは一人ですが初日の出を見るときは、 老若男女いろんな方々とご一緒です。 今年もいろんなイベントに出かけたい。 よい一年になりますように。 みなさまのご多幸とご健康を心よりお祈りいたします! |
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