私たちの写真ってこんなもん('_')写真データの保存どうしてますか?」 |
2022/08/30(Tue)
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86歳の父に、30年ぶりに会いました。
もう娘の自分も60歳で。 写真を手渡されました。 「なくさないようにね」と。 父はお金もなくしちゃうひとだったけど、 物もすぐになくしちゃうひとで、 家から持ってった傘が戻ってくることは決してなく。 老眼鏡だろうと何だろうと父の手におちれば傘一本と同じ運命で。 そんなひとが、ポケットの中から取り出した写真は、 すでに半世紀の時間が流れていました。 以来、父と顔をあわせるたびに、「あの写真、なくしてないよね?」って言う。 「あの写真だけは、なくさず持っていたんだ」とドヤ顔で。 1枚は弟の写真。 男の子がなかなか生まれず、四人目でやっと授かった。 もう1枚は、ある女性の写真。 私はこのひとに子供のころかわいがってもらった記憶があり、 もう一度会って話がしたかったって言ったら、写真をくれました。 なくさないかな、ってハラハラしながら持ってますけど、 写真ってはかなくて、たいせつで・・でもデータっていう頭に切り替えられず・・ 私らにとって写真って、そんなもん。
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いっしょにお弁当を食べてくれるひと('_')最後の一匹をお世話する |
2022/08/25(Thu)
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福岡市内に小さなオーガニックのお店があって、
外食で唯一、ぜんぶ食べられるお店なんです。 無農薬の季節の野菜を中心にしたメニューで、 お持ち帰りのお弁当も充実しています。 何度かお店で食事をいただきましたけれど、 お弁当も試したいと思ってました。 でも自分ひとりで予約したお弁当を食べるっていうのも・・ いつか、いっしょに食べてくれるひとがいたら。 そう思ってました。 私は四匹の猫を保護して20年以上になりますが、 猫の年齢のため、また私の不注意のためもあり、次第に数が減り、 ついに最後の一匹のお世話をしているところです。 一番若い猫だのに、まだ幼いのに、逝ってしまいそうで、 やりきれない思いです。 もっと自分ががんばっていたら、と悔やまれますが、 猫一匹といえども運命的な定めはあると思う。 自分がどんなにがんばっても越えられない壁、あると思う。 だからもう自分を責めるのはやめます。 落ちこみがちな私に、メールで励ましてくれるひとがあります。 猫友っていうか、そのひとも「最後の一匹」のお世話をしてるひとで、 気持ちが共有でき、どれだけありがたいか知れません。 この件が落ち着いたら、 このひとと一緒に、にいはらのお弁当を食べようと思います。 数あるブログの中からご訪問くださり、ありがとうございます! |
選べないからr都会になっちゃう('_')多拠点生活するとしたらどこを選びますか?」 |
2022/08/24(Wed)
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空き家バンクで畑付きの物件を探してたけど、
「こんな奥まったところに腰を落ち着けたら、 もうあちこち行けそうにないな」と感じました。 自然が好き。 自然の豊かなところで暮らしたい。 ずっとそう思ってきた。 生活拠点を移すきっかけなく、趣味の山歩きを続けました。 自分は便利のいい街に住んでいて、 どの地域にもアクセスのよい場所にあって、あちこちに行ける。 田舎暮らししようってときに、アクセス便利という街の価値観を基準にしたら、 矛盾したことしてると感じました。 で、軽トラックのキャンピングカーなんか、どうだろうと。 動く家、旅する家というコンセプトで、場所にしばられない発想。 フットワークは失いたくないというのが一番の望みですが、 じっさいには居住性の問題で難ありです。 いいことばかりの選択肢ってありませんよね・・。
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今までの人生でやったことがない('_')「そ」の書き方 |
2022/08/19(Fri)
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どっちでもいいのに、自分は最初に教わった二画の「そ」の字しか、
書いたことがないことに、気がつきました。 パソコンで打つ「そ」の字って一画の「そ」ですね! あらためて気がつきました。 でも自分の感覚だと、最初におぼえた二画の「そ」だけが「そ」らしく思え、 一画の「そ」は、「自分にはあり得ない」として意識的に排除してきたように思われます。 いま、人生初の一画の「そ」を書いてみてますが、 何度書いても「そ」とは思えないというか、気に入らないというか、 二つの「そ」がどちらも等しく、正しく、どちらでもよい「そ」であるにもかかわらず、 偏見ですよね。 いったん一つを正しいと思い込んでしまうと修正がむずかしく、 あとの選択肢は自分の意識から排除・抹殺するという、 人間の偏りがちな意識について、あらためて考えさせられます。
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いつかゴミになるとはわかってる('_')趣味で集めているものはありますか?」 |
2022/08/11(Thu)
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近所の空き地や田んぼがどんどん埋め立てられて、
あれよあれよと建物や道路になってった時期に、 コンクリートに混ぜる海の砂、 あっちにもこっちにも山になってまして、 貝がらがざくざくでした。 いけないらしいですね海砂は。 鉄筋のサビを促すらしい・・。 当時、小学生の私は時間さえあれば貝がらの収集。 しかし慣れ親しんできた場所がつぶされてくのは心が痛みました。 私にとって、あれが日本の高度経済成長だったんですね。 情熱と時間をささげた貝がらでしたが、 その後の引っ越しや何やらで捨てられてしまいました。 物に執着しても、いずれ管理できなくなる日もくる。 いい経験になったと思います。
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みんなのこと忘れてないよ('_')「昔懐かしいキャンプの思い出は?」 |
2022/08/02(Tue)
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通信制高校に入学した夏に、阿蘇山のキャンプに参加。
通信制高校って当時は知られてなくて、深い事情のあるひとが多くて。 あのとき自分は18歳で高校1年生。 もう42年も前だな。 当時の通信制は県に1つだけ公立高校に併設されてて、 大人のひと、退職したひとが大半で、 子連れで一家全員で教室にいたり、って今じゃ考えられない。 十代の生徒は数名で、自分たち肩を寄せ合ってる感じだった。 大人の体験談が、とても社会勉強になった。 さまざまな経歴を持つ方々が、高校の勉強したいと、 純粋な気持ちで、思い詰めた感じで入学してこられる。 人生道場みたいなところだった。 先生方も、そんな受け入れ方しておられたと思う。 十代の生徒たちは複雑なご家庭ばかりで。 ひどい親御さんのこととか、生活苦というか、打ち明け話はショッキングで、 自分まだ恵まれてるほうだと思うことも多々あった。 キャンプでは真夜中まで星を見てみんなで歩いて、 寄せ集めの自分たち、すぐまたちりぢりばらばらになるんじゃないかって、 何となく予感があり、 このままみんなでどこかに行っちゃいたい、みたいな、 でもどこにも行けないよね、みたいな、感傷的な気分で歩き回った。 顔ぶれ、今もよく記憶してる。 あの夜の阿蘇の星空も。 みんな今ごろ、どこでどうしているのかな。
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