いじられやすい体質のひと('_')「年上の人に気に入られる方? |
2021/09/29(Wed)
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子供のころから年上にいじられっぱなし。
親がうるさいほど介入してきて上のきょうだいも加わってくる。 学校の先生にもおけいこごとの先生にも、ずいぶん介入されてた。 それに病院。 医療従事者から体の表も裏も好きなだけいじられて、 いつ何されても受け入れることしかできなかった。 こんな幼児体験の中でおのずと受け身が身について、 「どうぞ好きなだけいじってください」とでも言ってる様子、 自分で気づかないままやってんじゃないかと思う。 大人になって不登校の相談に長く関わるようになって、 自分と似た体質の子、さいしょから一目でわかりました。 花にむらがるチョウチョのように、相談員や先生たちが、 たのまれもしないまま、その子に寄ってきて口を出し、手を出すわけです。 いけないとわかってても出しかけた手を引っ込めることができず。 「なんとか自分が力になってやろう」と。 周囲が手助けすればするほど本人のやることなくなって、 自由がきかなくなって力を発揮できない。 その様子を見て、「力を貸してやろう」という申し出が後を絶たない。 悪循環ですねえ。 いじられやすい体質がイヤになったら一人になってみるしかない。 誰かの力を借りる必要のあるときは自分で探して相手を見つけて、 自分がどうなりたくて、どう手伝ってほしいか、 きちんと自分の言葉で話さなきゃですね。 むずかしいだろうけど運転席は交代しちゃいけない。 ハンドルはつねに自分の手でしっかり握り続けていよう。
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食べても食べても満足しない('_')「コンビニで買う軽食といえば?」 |
2021/09/21(Tue)
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食べたいものがどんどん変わる。
なぜかと考えたら体の要求です。 いつ何を食べたらよいのか、体が教えてくれる。 だから食べたいもの食べたいとき食べたいだけ食べていいはず、 だけど、そうとばかりも言ってられないのは周知の事実。 よくないもの、むしろ有害なものを体が要求するってことも。 麻薬などの中毒性のもの、依存性のある睡眠薬など、 続けると自滅が待ってるとわかってても強く欲するようになる。 加工食品は似たような中毒性や依存性をもたらすこともある。 味覚を変えることだってできますと聞いたことがある。 味覚は命に安全なものと危険なものを区別する役割がある。 ひとの味覚は人類の進化とともにあり、 自然天然に近い食べものに対して敏感にはたらくけれど、 人工物には弱いらしい。 業界は試食を積極的に行うのも意味があるのだそう。 とくに子供さんに食べさせる機会を積極的につくる。 無料なので親御さんも警戒心がないけど、 業者の作った味にさらされて、味覚は操作されるって、 安部司さん、添加物をさんざん作って販売した実績を持つひとの発言、 ウソじゃないと思う。 とくに白い粉末、アミノ酸調味料、化学調味料のたぐい、 あれでただの塩水が濃厚なうまみスープになる。 酸味料、クエン酸のたぐいをスプーン2、3杯入れるだけで、 ただの砂糖水がフルーティーな清涼飲料水に化ける。 どうやら味覚はだまされっぱなしのようで、 栄養からっぽの加工食品は、 消化するだけ疲れさせて体の栄養の要求は満たさない。 満たされないから体は要求し続けるらしい。 それで製品がたくさん売れるけど、 消費者には落とし穴かもしれません。
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シンプルがベスト、らしい('_')「寝るのはベッド派?布団派?」 |
2021/09/15(Wed)
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治療家にお会いする機会があるたびに質問してきた。
「ベッドと布団どっちが体によいですか」 答えはぜんぶ同じ。 「ベッドなんか話にならん」 テレビやラジオに出せない内容。 体によい、健康によいから病院は入院ベッドってわけじゃないらしい。 衰弱したひとが病院のベッドから落ちて、 負傷や死亡の事故が起きたとはよく聞きますが、 それでもぜったいベッドなので、ほかに理由があるでしょう。 体や健康のことを考えるならせんべい布団、 保管に場所いらずの軽くて薄い布団がベスト。 寝返りが自由にうてるので疲れがとれるのね。 ねぞうのわるいひとほど元気だという観察結果もそれを裏付けている。 化学繊維より木綿や麻など植物繊維が最高。 それも昔からずっと変わらない。 昔のまんまがベストってことも、あるんですね。
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嵐のあとの風情はしみじみしとるとね('_')「子供のころに嵐、大雨、台風が来たときの気持ちは?」 |
2021/09/08(Wed)
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千年以上も前に、嵐に乱された風景を日本人が書き残しています。
台風や嵐のことを昔は野分(のわき、のわけ)っていう。 枕草子の「野分のまたの日こそ」っていうエッセイを読むと、 子供のころの感覚を昨日のように思い出します。 嵐が去った安心感、せいせいした気分で、あちこち見て回り、 見慣れた風景に大小の変更を見つけては新鮮な気持ちでした。 古典は現代語訳で読んでも古風で味わいがあり、 自分の中にも先祖の感覚が受け継がれてると感じます。 古い一軒家に住んでいたので、台風や大雨がくると揺れたりきしんだり、 雨漏りもして心細かった。 暗い家の中で母ときょうだいと寄り添って、しのいだのを思い出します。 近所に大きな川が流れており、 我が家は大したことなかったけど浸水もよくありました。 子供の感覚というのは鋭いといいます。 そして生きる力も子供のほうが強いそうですが、 子供のときの記憶は妙に鮮明で失われないものですね。
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