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浄化されるべき焼き肉-焼き肉は好きか-
2013/12/20(Fri)
ひたひたと長いルートを一人で下り、あと小一時間というところで、目の前にイノシシが倒れている。誰一人としていない山の中。死んだイノシシと、自分だけ。
「だから、あそこはしばらく通らないほうがいいよ」と山登りの人が教えてくれる。登山ルートのど真ん中、岩の上の避けようのないところ、死体のわきをすり抜けて下ってきたという。「あとの人のことを考えて、引っ張り落そうかとも思ったが、とてもとてもさわることなんか、できなかった」

以来、そこを通る気が起きない。人気のないところで、けものの死体と一対一で遭遇するというのは、心中おだやかでないと思うからである。
ぼたん鍋というのがある。イノシシの肉をぼたんというのである。食べてみたいと思うことはあるが、山中のイノシシの死体とは、なかなか結びつかない。しかし、倒れたイノシシに近づき、死体の一部を切り取ってきたら、それがぼたんであり、鍋が食べられる。それこそが事実である。


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お肉と、死体。これは生産に直接たずさわる人しか考えなくていい。今の日本はそんなシステムを持つ社会だから、若い女性も「焼き肉大好き」と恥じらいもなく言える。しかし、焼き肉好きの少女が手に持つナイフで、動物の死体から肉の一部を切り取るというのは、おだやかな光景ではない。少なくとも日本の、この日常気分では想像できまい。動物の死体が「焼き肉」や「ぼたん鍋」に見えるというのは、この日常ではハードルが高すぎる。

大根なら恐怖も苦痛もなくガブリとやれる。そこに殺しの訓練は必要ない。昔から「狩り=殺生」と宗教は深い結びつきがある。ちゃんと祀らなければ狩りも肉食も続けられない。どうしようもなく本能的な違和感が殺生にはつきまとうのである。祭祀という儀礼で浄めなければ口にできない「焼き肉」。それが本来だ。

殺生にまつわる恐怖や罪悪感が本能だとするならば。本能が長い生の営みの歴史からつくられ、私たちの身を守るという意味を持つものだとするならば。肉食と菜食の、どちらが人間にとって無理のないものか。どちらが人間にとって本来のものなのか。

そういうことを、つくづく考えてみることが、ある。


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操体法講座(グループ実習)のお知らせ
①12月14日15時~(天神会場)
②12月18日・19日・21日14時30分~(野間会場)

※誰でも参加できます。(参加費二千円)
※お問い合わせ電話080(1720)1097(山下)
    またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)

※年末年始お休み期間12月29日~1月3日まで。12月28日までは平常通りです。

1月の操体法講座(グループ実習)は第二土曜(1月11日)・第三土曜(1月18日)・第四水曜(1月22日)・第四木曜(1月23日)を予定しています。


※操体法の実習を見学・参加する⇒①②③から選べます。

①グループ実習(参加費2000円)②ゆったりプライベート実習(二名2500円。三名~2000円)
③じっくり個別実習(3000円)

 ②と③は日程・時間帯を希望にあわせます。
 
※見学・体験受付中。

天神から大牟田線普通電車「高宮」下車徒歩3分。野間四角交差点信号先3つ目のビル。
博多駅から西鉄バス博多郵便局横A乗場(50番)B乗場(65番)CD乗場(64・66・67番)で「野間四角」バス停下車。徒歩1分。

 お問い合わせ電話080(1720)1097(山下)
    またはメールfukuokasoutaihou☆yahoo.co.jp(☆⇒@に)

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